表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.20 ■■■ 四言両句釈詩[2:猊と象駝驢]象[→]に続く、オリジナル作品の2つ目の句は猊と駝である。・・・唯猊可伏, 非駝所堪(柯古)。 [續集卷五 寺塔記上] 猊とは、狻猊/Suān niのことで、獅子/印度ライオン/Simhaである。 文殊菩薩の乗り物は獅子だが、普賢菩薩の乗り物は白象であり、象の次ぎの釈詩として登場するのは自然なこと。「酉陽雑俎」の生物談義["廣動植之一 毛篇(獣類)"]では、先ずは獅子で、次が象と順番は逆ではあるが。 言うまでもなく、百獣の王である。 仏典的には、どう扱われてきたのか定かではないが、その声は一目おかれていたのは間違いない。 時諸菩薩敬順佛意,並欲自滿本願, 便於佛前、作師子吼,而發誓言: [「妙法蓮華經」卷四 勸持品第十三] 狻猊だけが、すべての動物をひれ伏せることができるというのは、ここら辺りを言っているのだろう。 釈尊や高僧の声がライオンのようだったという表現は、現代ではしっくりこないものがあるが、時代感覚の違いであろうか。("母胎を離れた後、「唯我独尊」の獅子吼をした仏陀"@芥川龍之介:「続西方の人」2 彼の伝記作者) 中華帝国の支配地には印度ライオンは棲息していないが、晉 郭璞も狻猊は神獸であり、獅子のこととしているし、道教系の経典でも圧倒的な強さがある獣とされており、比較的知られていた動物と見てよさそう。 以此勝物,可伏虎犳; 以此同物,水火可入。 [尹喜:「文始真經」七釜] 一方"駝"は駱駝[ラクダ]あるいは、"駝鳥"を指すが、今村注記では「驢[ロバ]に作る。」とされている。象とからんで、非驢所勝とか、非驢所堪という文言があるからであろう。 有智之人當知 香象所負 非驢所勝 [北涼 曇無讖 訳:「大般涅槃經」卷第三十三 迦葉菩薩品第十二之一] 小生など、赤 v.s. 青の"驢象之争"[米国の選挙]しか想い浮かばぬクチだが。 マ、駝驢どちらも、同じような扱いであることは間違いなさそう。 駝驢豬狗、是其行處,謗斯經故,獲罪如是。 [「妙法蓮華經」卷二 譬喩品第三] 尚、「大智度論」[龍樹:「摩訶般若波羅蜜経」注釈書]讃摩訶衍偈には、"驢馬駝象乘 雖同不相比"と説く一項がある。 象は大乗で、駝は独覚、驢は声聞にすぎぬということのようだ。 成式的な大乗仏教讃歌として、駱駝はとても耐えられまいという話をしていると考えてよさそう。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |