表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.2.22 ■■■ 四言両句釈詩[4:兔馬象と鳥猿象]文言には出てこないが、あくまでも象讃歌であることを踏まえると、どんな仏典か察しがつくようになる。・・・與馬同渡, 負猿而行(善繼)。 [續集卷五 寺塔記上] 象形第一で馬渡りの経典といえばコレ。・・・ 世有三獸。一兔二馬三白象。 兔之渡水趣自渡耳。 馬雖善猛。猶不知水之深淺。 白象之渡盡其源底。 聲聞縁覺其猶兔馬。雖渡生死不達法本。 菩薩大乘譬如白象。解暢三界十二縁起。了之本無。救護一切莫不蒙濟。 [南梁 僧祐[445-518年] 撰:「釈迦降生釈種成仏縁譜」四] 河川を渡るに際して、兎は跳ぶ。 底がどうなっているのか全く気にせず。 馬は、懸命に頑張ると言えども、 水深は全くわかっていない。 白象はこれとは違い、 底の源がどうなっているか完璧にわかって渉るのである。 これも、象は大乗で、駝は独覚、驢は声聞と同じで、[→]兎が声聞、馬が縁覚ということ。 象が猿を背負いて、という話も、結構知られている。・・・ 是時菩薩自變其身。作迦頻闍羅鳥。是鳥有二親友。 一者大象二者獼猴。共在必鉢羅樹下住。 自相問言: 「我等不知誰應爲長。」 象言: 「我昔見此樹在我腹下。 今大如是以此推之我應爲長。」 獼猴言: 「我曾蹲地手挽樹頭以是推之我應爲長。」 鳥言: 「我於必鉢羅林中食此樹果。 子隨糞出此樹得生。以是推之我應最_長。」 鳥復説言: 「先生宿舊禮應供養。」 即時大象背負獼猴。鳥在猴上。周遊而行。 [龍樹 /鳩摩羅什 訳:「大智度論」十二] 菩薩が自ら変身し迦頻闍羅鳥になった。 そして、親友ができた。大象と獼猴である。 皆、共に居て、鉢羅樹の下に住んでいた。 ある時、自問。 「我らのうち、誰が年長者に当たるのか解らぬナ。」 象が言うには、 「昔、吾輩がこの樹木を見た時は、まだ腹の下だった。 今はこれほど大きくなっている。 ここから推測するに、吾輩が年長だろう。」 獼猴が言うには、 「私が、嘗て、這いつくばっていた頃のこと。 この樹木の天辺を手で引っ張った覚えがあります。 そこから推測すれば、私が年長でしょう。」 鳥が言うには、 「私は、間違いなく、鉢羅林でこの樹木の果実を食べました。 その種子が糞として出て、この樹木が生えたのです。 これをもって、一番の年長であると推測できましょう。」 そこで、 鳥は駄目押しの一言。 「先に生まれた者に対しては、 礼を尽くし、 応分の供養をすべきでしょう。」 即時、象は獼猴を背負うこととした。 そして、鳥は獼猴の上にとまった。 そうして、全員で周遊に。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |