表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.27 ■■■ 玄宗の人事「李王朝前期略史 最盛期」[→]の玄宗譚では以下の箇所は避けたが、どのような人事方針だったかを彷彿させるので眺めておこう。 [卷十二 語資]・・・黄㼐兒,矮陋機惠,玄宗常憑之行。 問外間事,動有錫賫。 號曰肉杌。 出自が卑家で、背丈が低いが、機智に富んでいるということで、玄宗皇帝がお傍に常に呼びつけていたのが"黄㼐兒"。 名前は、おそらく玄宗が、直言で知られ、頭が切れる高官だった郭祚/季祐[448-515年]にちなんでつけたのだろう。黄瓜を懐にしのばせて幼帝を喜ばせたということで。・・・ 祚曾從世宗幸東宮,肅宗幼弱,祚懷一黄㼐出奉肅宗。時應詔左右趙桃弓與御史中尉王顯迭相脣齒,深為世宗所信,祚私事之。時人謗祚者,號為桃弓僕射、黄㼐少師。 [北齊 魏收:「魏書」卷六十四列傳第五十二] 玄宗は宮廷に住んでいるから、世間知らずという点では幼帝とたいしてかわらぬので、外の事情を尋ねるのに重宝して使っていた訳である。もちろん、その活動への報償は十分に。 そんな役割なので、普段使う綽名のほうは肉の塊のような怪物"肉杌"だったようだ。 どの国でも、王はそのようなことをしているもの。ただ、あくまでも臣下としては例外扱い。そこを誤解するとどうなるか。・・・ 一日入遲,上怪之,對曰: 「今日雨淖,向逢捕賊官與臣爭道,臣掀之墜馬。」 因下階叩頭。 上曰: 「外無奏,汝無懼。」 復憑之。 有頃,京尹上表論,上即叱出,令杖殺焉。 ある日、黄㼐兒が遅刻。 帝は、どういうことかとお尋ねに。 「今日は雨が降っておりまして。 役所に向かう捕賊官と出会い 道争いになってしまったのでございます。 急いでいましたので、落馬させてしまいました。」 黄㼐兒は、そう言って、階に頭をぶつけて平謝り。 帝は、 「何の話も聞こえてこぬ。 お前は懼れることない。」と。 と言うことで従前通り、お傍に。 ところが、しばらくして、 京尹がそのことを上奏してきた。 帝はその場で即座に叱責。 杖殺を命じた。 流石。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |