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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.3.28 ■■■

宦官文化

司徒の薛平[757-836年]が、太僕卿を周皓に常に送っていたという一文で始まる、「酉陽雑俎」にしては珍しく長文の話がある。要するに護衛が必要という厄介な社会だった訳である。
日本は宗教としての儒教を取り入れなかったこともあり、宦官制度は初期に導入を止めてしまったようだから、その文化に馴染みが薄い。少し眺めておこう。

「酉陽雜俎」には、玄宗私的秘書的に振舞った宦官、高力士の話がかなり記載されていることは、すでに書いた。[→]
これ以後、朝廷は急速に宦官差配体制に組み込まれることになったのである。子孫無き宦官に統率させた方が、"家"の繁栄第一の官僚を使うより、帝室の安定統治に繋がるとみたのだろう。
ただ、本格的な体制確立は、文宗と官僚による仇士良等の有力宦官一斉誅殺に失敗した甘露の変[835年]である。

 <唐代の有名な宦官>
  楊思勗[n.a.-740年]・・・軍事で功績
  【高】力士[684-762年]・・・玄宗付き
  李輔国[704-762年]・・・粛宗付き
  程元振[n.a.-764年]・・・代宗即位の功
  魚朝恩[721-770年]・・・専横化で代宗命で誅殺
    by 元載, 皇甫温,【周皓】(魚朝恩護衛の将)
  程元載[n.a.-777年:誅殺]・・・専横化
  楊良瑤[736年−806年]・・・イスラム使
  仇士良[781-843年]・・・専横化

"専横"の力がいかようなレベルかは、「資治通鑑」卷二百二十四 唐紀四十 大歴五年がわかりやすい。・・・
載有丈人自宣州來,從載求官,載度其人不足任事,但贈河北一書而遣之。丈人不ス,行至幽州,私發書視之,書無一言,惟署名而已。丈人大怒,不得已試謁院僚,判官聞有載書,大驚,立白節度使,遣大校以箱受書,館之上舎,留宴數日,辭去,贈絹千匹。
其威權動人如此。

770年、元載の知るお年寄り[丈人]が官位を求め、宣州から来訪。
元載の評価は任官するには能力不足。そこで、役人宛の書状一通を贈り、河北へと派遣させた。
その扱いに不快感を覚えたので、幽州に着いた時、 私的に書状の中味を覗いた。なんと、そこには署名だけ。老人大いに立腹。
と言っても致し方ないので官吏に謁見することに。
判官はそのような書状があると聞いて大いに驚き、すぐに節度使のところへ。早速、大校が派遣され恭しく書状を箱に入れて受領。
老人は上流向け宿舎に通され、数日間、宴会で逗留。そうもしていられないので、老人辞去。すると、絹千匹が贈られた。
ことほど左様に、元載の権威で人々が動くようになっていたのである。


こんな状況であることを踏まえて、貴族の息子たる【周皓】の若き時代の花柳界放蕩話を読む必要があろう。
高力士の養子を襲っても、南に亡命できた時代でもあったのである。
長安に戻って、そしらぬ顔で高官になれば、白楽天と酒宴まで。
  「宴周皓大夫光福宅」  白居易
 何處風光最可憐,妓堂階下砌臺前。 軒車擁路光照地,絲管入門聲沸天。
 冊尓s香饒桂酒,紅櫻無色讓花鈿。 野人不敢求他事,唯借泉聲伴醉眠。

  「題周皓大夫新亭子二十二韵」も

そんな時代のお話。・・・

【薛平】司徒 常送 太僕卿【周皓】,
上諸色人吏中來有一老人,八十餘,著緋。
皓獨問:
 「君屬此司多少時?」
老人言:
 「某本藝正傷折,天寶初
[742年]
  【高】將軍郎君被人打,下頷骨脱,某為正之。
  【高】將軍賞錢千萬,兼特奏緋。」
皓因頷遣之,唯薛覺皓顏色不足,伺客散,獨留,從容謂周曰:
 「向卿問著緋老吏,似覺卿不ス,何也?」
皓驚曰:
 「公用心如此精也。」
乃去僕,邀薛宿,曰:
 「此事長,可緩言之。
  某年少常結豪族,為花柳之遊,竟畜亡命。
  訪城中名姫,如蠅襲,無不獲者。
  時靖恭坊有姫,字夜來,稚齒巧笑,歌舞絶倫,
  貴公子破産迎之。
  予時數輩富於財,更擅之。
  會一日,其母白皓曰:
    『某日夜來生日,豈可寂寞乎?』
  皓與往還,竟求珍貨,合錢數十萬。
  樂工賀懷智、紀孩孩,皆一時絶手。
  方合,忽覺撃門聲,皓不許開。
  良久,折關而入。
  有少年紫裘,騎從數十,大詬其母。
  母與夜來泣拜。
  諸客將散,皓時氣方剛,且恃扛鼎,顧從者敵。
  因前讓其怙勢,攘臂毆之,於拳下,遂突出。
  時都亭驛所有魏貞,有心義,好養私客,
  皓以情投之,貞乃藏於妻女間。
  時有司追捉急切,貞恐蹤露,乃夜裝,腰其白金數挺,
  謂皓曰:
    『州周簡老,義士也。
     復與郎君當家,今可依之,且宜謙恭不怠。』
  周簡老,蓋太也,見魏貞書,甚喜。
  皓因拜之為叔,遂言状,
  簡老命居一船中,戒無妄出,供與極厚。
  居余,忽聽船上哭泣聲,
  皓潛窺之,見一少婦,縞素甚美,與簡老相慰。
  其夕,簡老忽至皓處,問:
    『君婚未?
     某有表妹,嫁與甲,甲卒,無子,今無所歸,可事君子。』
  皓拜謝之,即夕其表妹歸皓。
  有女二人,男一人,猶在舟中。
  簡老忽語皓:
    『事已息,君貌寢,必無人識者,可遊江淮。』
  乃贈百餘千。
  皓號哭而別,簡老尋卒。
  皓官已達,簡老表妹尚在,兒聚女嫁,
  將四十餘年,人無所知者。
  適被老吏言之,不覺自愧。
  不知君子察人之微。」
有人親見薛司徒説之也。

  [卷十二 語資]
司徒の【薛平】は何時も太僕卿の【周皓】を送っていた。
ある時、参上したご機嫌伺いの官吏のなかに、緋色の衣
[五品官僚の制服]を着た80歳を過ぎた老人が入っていた。
周皓は、その老人のみに質問。
 「貴君は官職を得て何年におなりか?」
老人は、
 「某には、負傷や骨折を治す術があり、
  それは742年のことでした。
  高力士将軍の大事な子弟
[養子である.]が他人に殴られまして
   顎の関節が脱臼してしまったのでございます。
  某は、それを基に戻してさしあげました。
  高力士将軍はたいそうお喜びになりまして、
   1,000万の賞金を下さり、奏上なされて、
   特別に緋色の衣のご下賜となったのでございます。」
周皓は、頷いて、やり過ごした。
ただ、薛平は、その顔色を見おていてなにかあるなと感じた。
伺候の人々が散会しだが、薛平は一人残って、どういうことか周皓におもむろに尋ねてみた。
 「卿は、五品の老官僚にご質問されておられましたが、
  どこか不興にお見受けしました。
  どうしてなのでしょうか。」
周皓は、その指摘に驚いて、
 「貴公は、なんと、
  そのような心の襞の細かいところまで見ているのか。」と。
早速、僕等に去るように命じ、せっかくだから泊まっていけと。

「これは実に長い話なのです。
 のんびりと語らねば。・・・
 吾輩は少年時代豪族達と結びついており、
 花柳界で遊ぶ生活で、そんな畜生的世界に入りびたり。
 長安の名妓達を訪れ、蠅が羊肉に群がる如しで、
  獲物は必ず得るという調子でしたナ。
 その頃、靖恭坊に字名が夜來という妓がおりまして、
  歯がとっても可愛く、笑顔の魅力たるや抜群で、
  しかも、歌舞は跳びぬけた素晴らしさ。
 お陰で、多くの貴公子はそのため破産の憂き目。
 吾輩は、数人の仲間と共に、裕福でしたので、独壇場。
 ある日のこと、
  夜來の母親が、誕生日が来るが、寂しいのはどうも、と。
 行き来していることもあり、
  銭数十万の珍品を入手して応えただけでなく、
  宴席にはその時の最高の楽士を呼んだりしたのですがナ。
 頃合いになり、扉を閉めると、
  門を叩く声がしたので、開けるなと。
 ところが、少しすると、環貫を毀して闖入する者が。
 それは、紫色の衣をつけた少年で、騎馬の従者が数十。
 そして、大声で、母親を誹しり始めたのですナ。
 母親と夜来は、ただただ泣いて拝むだけ。
 仕方なく、お客は散っていこうとしていたのですが、
  将に、その時ですナ。
 吾輩は血気盛んな若者でしたし、
  かつ、腕力にも頼るところがありましから、
  その従者を敵としてもどうということなしでした。
 前に出て、虚勢を張るなと腕で殴りつけた訳ですナ。
 ソヤツを拳で叩きのめし、突進して逃亡。
 当時、都亭驛には魏貞がおり、義侠心篤き男で、
  食客を抱えておりました。
 事情を話して、そのお仲間に入れてもらった訳です。
 当座、妻女の居室で匿ってもらうことに。
 ところが、追手の司直の動きも急を告げており、
  魏貞も露見を恐れ、
  夜のうちに旅装支度をし、腰には白金数丁といういで立ちに。
 そして、
 州の周簡老は義士だから、そこに行けと。
 もともとは貴君の家作ですから、今はそこを頼って下さいまし。
 くれぐれも、謙恭の姿勢を怠りなく、とも。
 その周簡老、いかにも、侠の世界の大人の風格。
 周皓が来たとの魏貞の書状を見て大喜び。
 周皓は叔父として接し、状況を詳らかに話した。
 その結果、周簡老は船の中に居るように、と。
 そして、無闇な外出は避けよとも。
 それはそれは、厚遇でありました。
 そんなことで一年が経った頃、
 たまたま、船上で鳴き声が聞こえてきまして、
 周皓はそれを覗き見。
 一人の寡婦で、素っ気ない様相でも美人。
 周簡老と慰めあっていたのですが
 その後、夕刻に周皓は尋ねられたのでありました。
 "貴君は未婚ですか?"
 "従妹が甲の嫁に行ったところ、甲が死去。
  子供も無く、往く先無しの状態。
  貴君にどうだろうか?"、と。
 周皓は深謝し、即日、その夕べに婚姻。
 そして、娘2人、息子1人が産まれましたが、
  相も変わらず船中生活。
 そうこうするうち、周簡老は言い出したのでありました。
 "あの事件は収束したようです。
  貴君の容貌も寝ているか如く穏やかになりましたし、
  今や、見分けることができる人などいますまい。
  江淮辺りでお遊びになったらどうかと。"
 そして、周皓は十分なお金を頂戴したのです。
 周皓は号泣。
 その後、周簡老は逝去。
 周皓はやがて官位ある生活に。
 周簡老の従妹は今も健在だし、子供達は結婚。
 将に、それは40年の歴史にほかなりません。
 しかし、これを知る人はいません。
 そんな時、あの老官吏にそれを指摘された訳です。
 自愧の念を覚えずにはいられなかったということですナ。
 君子は他人の機微を察することができるは、
 そんなことは今の今まで知りませんでした、と周皓。」
以上、周皓と語り合った薛平から、直接聞いたという人の話である。


(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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