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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.5.20 ■■■

司馬季主

成式がピックアップしたにしては、不可解に感じさせる話が収載されている。
道士をとりあげているのだが、術であるとか、誰かに働きかけたことではなく、「道」を求めてやってきた弟子の心情を書いているからだ。

弟子ではないが、道士に従った人々の話だと、いかにも成式的な感じがするのだが。 [→「杜子春の元ネタ」]

範零子隨司馬季主入常山石室。
石室東北角有石匱,
季主戒勿開。
零子思歸,發之,見其家父母大小,近而不遠,
乃悲思,季主遂逐之。
經數載,復令守一銅匱,
又違戒,所見如前,竟不得道。

範零子は司馬季主に従って、常山の石室に入った。
その石室の東北角に石匱があった。
司馬季主は、これを開くこと勿れと、戒めた。
範零子は、帰ろうと思い立ち、
 この石匱を、つい開けてしまった。
すると、そこに、家の父母、大人、子供が見えた。
 遠くにというより、間近そのもの。
なにか悲しみに襲われてしまった。
そこで、司馬季主は範零子を放逐した。
それから数年を経た後、
再度、1つの銅匱を守る役目を仰せつかった。
ところが、再び戒めを破ってしまった。
またまた、前と同じようなものを見てしまったのである。
結果、道を得ることはかなわなかった。


出典はコレだろう。・・・
範零子少好仙道,如此積年,後遇司馬季主,季主將入常山中,積七年,入石室,東北角有石
季主出行則語之,曰:“慎勿開此。”如此數數非一。
零子忽發視,下見其家父母大小,近而不遠,乃悲思。季主來還,乃遣之歸,後複取之,複使守一銅櫃,又使勿發。零子複發之,如前見其家。季主遣之,遂不得道。(此事乃入不可思議之境。然毎當依此,觸類慎之)
  [陶弘景:「真誥」卷五]

楚の出身者である司馬季主は官吏ではなく、長安東市で卜を行うことで生活の糧を得ていた。ところが、識者の上に、口も達者だったようである。(宋忠[漢 文帝の中大夫]、賈誼[博士]…曰:「吾望先生之状,聽先生之辭,…]…宋忠、賈誼忽而自失,芒乎無色,悵然噤口不能言。   [司馬遷:「史記」卷一百二十七 日者列傳第六十七])
今村は注で、サラリとこのことに触れ、司馬季主がこの両者をからかったと記している。
ハハハ。

この章の序には、占いは古代から、すべての王朝で意思決定に用いられていたとある。天のご意向を専門家がお伺いする訳だが、その方法は国によって違っているので、それを書いたとされるが、司馬季主の話しか収載されていない。従って、胡散臭い記載と見なされていることを前提として見ておいた方がよさそう。
内容は単純。
宋忠、賈誼の二人は、たまたま同じ日に、お勤めが無いので、色々話しているうちに、市場に行って占い師に会ってみようとなったのである。聖人は、役職が得られない時は、そんな職業をしているから、人物鑑定でもしてみるか、という調子。
そして、早速にして、弟子と議論する司馬季主を見つけ、話を聞いていて、"これぞまさしく"と感銘を受けた訳である。
そこから、司馬季主と二人の対話が始まるのである。

ハイライトは司馬季主の熱烈な言葉。
「今公所謂賢者,皆可為羞矣。卑疵而前,孅趨而言;相引以勢,相導以利;比周賓正,以求尊譽,以受公奉;事私利,枉主法,獵農民;以官為威,以法為機,求利逆暴:譬無異於操白刃劫人者也。」

成式は、この話を想起させたかったのかも知れぬ。
出家は家族関係を断つことに他ならないのだが、父母の愛を忘れられないヒトのサガを持つ点に釘をさしたかったのだろうか。
早晩、出家は名目的な儀式になり、在家となにもかわらない家族関係が持ち込まれると予想していたのかも。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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