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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.9 ■■■

鵲考

日本では、カササギはクロード・モネの絵で名前を知っているだけいう人が少なくない。
写真で見るとペンギン的な黒白姿の小振りなカラスといった印象で覚え易そうな姿だが、日本列島では一部地域しか棲息しておらず、出会うことは稀だから致し方ない。

日本では本の名前を知らない人がいないくらい有名な、「魏書」第30巻 烏丸鮮卑東夷伝倭人条には、"其地無牛馬虎豹羊鵲。"と記載されているから、それは当然かも。
しかし、この記述、不思議感を呼び起こす。
倭での猛獣の脅威や、家畜の実態について関心を払うのはいたく自然な姿勢だが、鵲[カササギ]が日本列島に棲んでいるか否かが気になるというのはどういうことか。
この中華帝国的精神構造はなんとも理解し難いものがある。

実は、「酉陽雑俎」でも、鵲が棲息していない地域について、さりげなく示している。
成式も同じような疑問を持っていたと見てよかろう。ただ、さりげなく鳩と一緒にしており、そうは見えないように工夫しているが。・・・

朱提以南無鳩鵲。 [卷十六 廣動植之一 序]

一体、鵲とはどういう位置付けの鳥なのか知りたいところだが、「喜鵲登梅」のようなモチーフで知られる吉兆の鳥としての扱いとか、牛郎と織女相会のために七夕時に"鵲橋"になるといった情報は矢鱈に多いのだが、そこから一歩進んだ話にはさっぱりお目にかかれない。(じっくり腰を入れて調べた訳ではないが。)
どうしてそのような伝承が始まったのか、興味を持つ人はいないのかも。

よい機会でもあるからそこらを考えてみたい。

先ずは、「羽 (色々)」【(喜)鵲】[卷十六 廣動植之一 羽篇][→]で取り上げた話から。・・・
鵲巣中必有梁。崔圓相公妻在家時,與姉妹戲於後園。見二鵲構巣,共銜一木,如筆管,長尺余,安巣中,衆悉不見。俗言見鵲上梁必貴。
ここでは、成式らしく、巣作り観察記録から、その生態のポイントが示されている。
いかにも閑にあかせた観察との印象を与えるが、それなりに愉快である。
ただ、これは前段話で、引き続く文章を読めば、何を考えてのことか、読者にわかるようにしてくれている。・・・

大暦八年,乾陵上仙觀天尊殿有雙鵲,銜柴及泥補葺隙,壞一十五處,宰臣上表賀。
貞元三年,中書省梧桐樹上有鵲,以泥為巣。焚其巣,可禳狐魅。

大暦8年[773年]…屋根を修復してくれたので、天尊殿で祝賀。
貞元3年
[787年]…中書省梧桐樹の巣を焚いて狐の妖怪を掃った。

要するに、巣作りを吉祥とする道教祭祀的な決まりがあるようだが、はたして道教なのかもわからぬ。由縁も忘れるほど、"昔"の"隹"の伝承と考えられるということであろう。せいぜいが、番が決まっているので夫婦関係が長続きするとか、雑食性だが人里棲息タイプなので穀類の昆虫被害防止に一役買ってくれる程度だから。

それにしても、なんだかわからぬが、ともかく素晴らしいことが起きる前兆と皆で揃って喜ぶなど、実に滑稽ということなのであろう。

その様な白鵲到来話は、「卷一 忠誌」にも登場する。
[→「李王朝前期略史」]賢者獲得こそが吉兆なのに、それがわからぬ隋帝は没落必至とみているのだ。
再録しておこう。・・・
貞觀[627-649年]中,忽有白鵲構単於寢殿前槐樹上。其巣合歡如腰鼓,左右拜舞稱賀。上曰:“我嘗笑隋帝好祥瑞。瑞在得賢,此何足賀?”乃命毀其巣,鵲放於野外。

ついでに、山海経の「山経」をサラリと眺めると、こんなところが目に付く。烏並にポピュラーな鳥だったことがわかる。その外見もさることながら、日本での音読み"ciak"に近い鳴き声もよく知られていたようである。おそらく、人の近くに居て、騒がしく鳴く鳥なのだろう。・・・
【北山経《01》】
10翼之魚・・・鵲的羽端鱗鵲音
【北山経《02》】
<夸父>的・・・四翼、一目、犬尾,其音如鵲,食之已腹痛,可以止
【北山経《03》】
鵲的・・・白身赤尾六足善驚,其鳴自
【北山経《11》 中山経《11》】
鵲的嬰勺・・・赤目赤喙白身若勺尾自呼鳴
【中山経《11》】
鵲的青耕・・・青身白喙白目白尾自叫鳴

小生は、注目すべき特徴は、外観がモノトーンな点だと見る。しかも、里というか、ヒトと一緒の地に棲むという習性も重要である。つまり、以下の鳥と同類扱いされたのではないか。
 兄弟のように生活を共にする鵜(四川)
 日暮れになるとねぐらに帰る烏(扶桑の木に留まり太陽を運ぶ役割)
 虫が出る季節だけ人家に巣をつくる玄鳥(殷のトーテムの燕)

そういうことで、これらに見合った鵲の特徴が必要となり、巣作りに使う材料を厳選しているということになったのではないか。
この場合、正確には、"巣"ではなく、"[=+穴]"であり、樹上の聖なる穴といったところ。
 (鳥在木上曰巣,在穴曰[「説文」@「康熙字典」八》)]
を知る鳥ということで天のお遣い鳥とされていたようだし。
 《淮南子》曰:鵲識多風,去喬木,巣傍枝。[「説文」]

ということで、このような話が収載されている。・・・

,鵲構取在樹杪枝,不取墮地者,又纏枝受卵。
端午日午時,焚其灸病堵,疾立愈。
 [續集卷八 支動]

鵲の体躯の大きさからみて、他の鳥に襲われると対抗できないから、普段からヒトの近くで生活していて、なにかあれば、見知ったヒトの側に逃げ込むのだと思う。当然ながら用心深い体質の筈で、見知らぬ人が近付いて来たり、なんらかの危険がありそうだと、早目に察知して煩く鳴いた筈。もともと穀物の害虫を大量に食べそうな鳥だし、番鳥にもなるのだから、人々が可愛がっておかしくなかろう。

しかし、そのような時代は早々と終わりを告げたということだろう。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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