表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.17 ■■■ 道教的地獄今村は道教の地獄関係の経典に目を通したそうだ。その感想が一言記載されており、刑については仏教の地獄のコピーとのこと。マ、素人が考えても、どうせそんなものだろうと思う。 ということで、道教的地獄を眺める場合のポイントを見ておこう。[卷二 玉格]・・・ 罪簿有K、香A白簿,赤丹編簡。 刑有搪蒙山石、副太山搪夜山石、寒河源及西津水置、東海風刀、電風、積夜河。 山海經を眺めればすぐに気づくが、信仰対象である神や訳のわからぬ妖怪の類の出自は山である。死者にしても同じだろう。山に昇って鬼になるという考え。その地で扱いが決まってくることになる。中途半端だと、鬼としてヒトの世界に降りてくることもありうる訳だ。 そのような死者の世界に、閻魔大王的な権力者が存在していたとは思えないし、そもそも地獄概念も無かった可能性さえある。 おそらく山系[山脈]統合の神"官"が決められると、各山のすべての鬼を管理する必要がでてくるから、その代理役の官吏が設定され、網羅的で規格化された処断をしなければならなくなるので、死者の霊を集めてそれぞれの進路を決める仕組みが考案されたのだと思う。 又有為善爽鬼者,三官清鬼者,或先世有功,在三官流。逮後嗣易世練化,改世更生。此七世陰コ,根葉相及也。命終當道遺腳一骨,以歸三官,余骨隨身而遷。男左女右,皆受書為地下主者,二百八十年,乃得進處地仙之道矣。 最初は、五嶽之主である東嶽泰山が中央集権型幽冥の地となったようである。しかし、その座は、東嶽大帝の補佐である筈の酆都に奪われることになる。仏教が持ち込んだ十王地獄観をいち早く取り入れた結果と思われるが、"東方"に死者が集められるという発想が伝来の地獄設定と合わなかったことも大きかろう。 ただ、地獄の"刑"の内容にはたいした関心はなかったのでは。すでに、そのような"刑"による統治からの脱却を図っていた仏教圏とは違って、日常的に様々な残虐な刑罰を行っていた社会だろうから。命は軽い社会だったのは間違いない訳で。 → 仏教の「六道の地獄」 この十王が差配する死後世界[十殿閻羅と各種地獄]とは、もともと古代インド発祥の概念。[死神Yamaによる裁判で地獄行き.@「シャタパタ・ブラーフマナ」推定B.C.800] 精神世界にも官僚的ヒエラルキーを持ち込みたい中華帝国にとっては親和性が高かったから、渡りに船だったろう。 死後世界でも、刑の内容を決める裁判システムが存在するとのイメージは、山に登った鬼が山神に管理されるという古代からの感覚とピッタリ合ったに違いない。従って、システムは精緻なものに仕上がっていく訳だ。 なんといっても、特筆すべきは、提出された生前の所業の功罪を記載した書類が裁判に提出される点。それに基づいた審査で、量刑が決められることになる。まさに、官僚統制そのもの。 罪簿には、K、高フ2種。 他に、白簿があり、 さらに赤丹編簡も作られているというのである。 そして、三官大帝(天官堯,地官舜,水官禹)がそれぞれの誕節(上元,中元,下元)に賜福、亡魂赦罪、解厄を行うと。 道教は、最初にこのような核が設定されると、思想性皆無のまま、ただただ精緻なものに仕上げることに勢力が費やされる。酆都大帝が十王[十殿閻君]等を主宰者と規定し、その下位に五方鬼帝や七十五司といった屬神を設定。ヒトを探査し善悪を記録し、禍福を評定する機構が編成されていくのである。現生の帝国官僚機構とウリな仕組みが死後の世界に持ち込まれるのである。・・・ 三大仙 九太帝 二十七天君 八十一卿大夫 千二百仙官 二萬四千靈司 七萬仙童玉女 五億天丁神王 [「猶龍傳卷之二敬六」登位經] 成式はそこらを指摘しておきたかったのだろう。・・・ 鬼官有七十五品。 仙位有九太帝, 二十七天君,一千二百仙官,二萬四千靈司, 三十二司命, 三品、九品、七城。 九階二十七位,七十二萬之次第也。 九階二十七位,七十二萬のとんでもヒエラルキーに見えるかも知れぬが、現代の政府機関はそんなものでとどまらないし、宗教組織でも同じようなことがいえる。 突然、三品、九品という言葉が入っているのは、これらは官僚として起用する際の規定[九品中正制度]そのものですゾという、成式先生のご注意である。 (官僚候補を中正官が推薦する。各地の王が推薦する訳ではないので、理屈からいえば地域エゴのぶつかりあいは防げる。誤解を招きかねないので書いておくが、中央集権強化策に映るが、起用に当たっては出世の上限を決める訳で、王侯貴族の出身者は下限から出発する点がミソ。実質的には、宗族体制に基づく門閥制度そのものと言えよう。) 言ってみれば、死後の世界というか、精神の領域でも、為政者から"位"を与えてもらうことが大いに嬉しい人々が暮らしている社会ということ。そのような風土に浸かっていながら、仏教徒として暮らすのは本来的には自己矛盾そのものだが、社会とはそういうものというのが、成式の達観であろう。 仏教的に解釈するとなれば、故人の罪を"官"に軽減してもらうため、遺族は追善供養すべしとなり、善行に勤めて功徳を積み、お布施に励むべしとなる訳だ。 尚、陶弘景:「洞玄霊宝真霊位業図」を見ると、最下は第七階位で、その中位は酆都北陰大帝。従って、この偕位に勢揃いしているのは鬼官だと思うが、左位46職+右位42職であり、七十五品を越える。 (参考) 李剣楠:「道教神仙系譜『洞玄霊宝真霊位業図』について」中国哲学論集(37-38) 2012年 鷹巣純:「地獄十王思想と道教」@展覧会図録「道教の美術」大阪市立美術館 2009年 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |