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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.24 ■■■

妬婦-II

"妬婦"[卷十四 諾皋記上][→]では、宇治の橋姫の原形と目される、嫉妬深い婦津の話を取り上げた。
感情面だけ取り上げれば類似の題材となってしまうが、それとは趣意が異なる話を見ておこう。・・・

房孺復妻崔氏,性忌,
 左右婢不得濃妝高髻,
 月給燕脂一豆,粉一錢。
有一婢新買,妝稍佳,
崔怒曰:
 “汝好妝耶?我為汝妝!”
乃令刻其眉,以青填之,
燒鎖梁,灼其兩眼角,
  皮隨手焦卷,以朱傅之。
及痂脱,瘢如妝焉。

房孺復の妻である崔氏の気性は、やきもち焼。
そのため、
左右にお仕えする婢は濃い化粧や高い髻が許されなかった。
毎月の化粧給金は、燕脂が一豆で、粉が一錢。
新調したての婢がいたのだが、なかなかの腕前だった。
その結果、
崔氏の怒りを呼び込むことになった。
崔氏はこう言ったのである。
 「あんた、化粧好きか?
  それなら
  私が、あんたの化粧をしよう!」と。
先ず、眉に刻みこまさせて、そこに青を埋め込んだ。
次に、焼いた鎖を両眼の隅にあてた。
その手の動きに従って皮が焦げて丸まった。
そこに朱を入れ込んだのである。
火傷の瘡蓋が外れると、
 そこには、化粧をしているか如き跡が残っていた。


なかなかのブラックもの。

ここに登場する房孺復は容州刺史で「壺史」にも登場する。宰相を務めた房[696-763年]の子で、その妻は台州刺史崔昭の娘。
はなはだしく嫉妬深かく、婢妾殺害も厭わない体質ということで有名になったその人である。・・・
 娶崔昭女,崔悍,殺二侍兒,私之。
 觀察使以聞,貶連州司馬,聽崔去。
 既又與崔通,請復合,詔許。未幾復離。
 終容州刺史。

 [「新唐書」卷一百三十九 列傳第六十四 房子:孺復]
成式の選んだ話より、こちらの逸話の方が遍く知られているようだ。このような妬婦譚が大流行りだったということでもある。(明帝[在位465-472年]勅命編纂書物まで登場した位なのだ。・・・宋 虞通之:「妬記」)
よく語られてる妬婦譚は後宮の話が多いので、貴族階層の"妬婦"の代表としては房孺復の妻となるのであろう。

小生は、時代背景的にはこの現象は必然的に発生したと見る。
特異的な気性の妻と考えがちだが、奴婢をどう扱おうとかまわぬと考えていた時代感覚が残っている頃であり、怒りを覚えれば殺戮発生は珍しいことではなかったであろう。それはもっぱら男性だったのが、女性も同様になっただけの話。
これは女性の力が強くなったという話ではなく、妻方の家族関係に頼らざるを得ない夫が増えた結果である。門閥社会でよくあること。
(科挙とは、有力家系の娘を娶る制度でもある。当然ながら、家の主人の側には婢妾がはべらうこととなる。貴族の家も宗族繁栄のための政略結婚が横行していたのだから、同じようなもの。血族の子孫を増やし、より上位の閨閥形成を目指すことになる。その邪魔者は消すしかないのである。)

要するに、世の中、妬婦譚は山ほどあった時代なのである。そして、ストーリーが残虐非道であればあるほど人気を呼んだ可能性が高い。
そん風潮に掉さすべく、成式は、ホッとする話を探し出したのだと思われる。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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