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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.6.26 ■■■

マイルドパンクの刺青

成式の家人にも刺青男がいた位で、唐代、いかにブームだったかが推し量れよう。・・・

成式門下路神通,
毎軍較力,能戴石六百斤石,破石粟數十。
背刺天王,
自言得神力,入場人助多則力生。
常至朔望日,具乳糜,焚香袒坐,
使妻兒供養其背而拜焉。

段成式の門下に路神通という名前の者がいた。
仕事は御者
[]である。
軍隊駐屯地で力比べをする時には、その度に、
頭の上に石笠
[]を載せ、
六百斤もある石のツッカケ
[]を履いた上で、
粟粒のような石を数十個口に入れてかみ砕いていた。

その背中には、天王の刺青。
何時も、自ら言うことには、・・・
 俺は、神通力を得ている。
 入場すれば、神が人助けしてくれる。
 それで、則、力が生まれてくるのだ、と。

新月と満月の日には、
必ず、乳糜
[乳汁+酥油の粥]を供え、
香を焚き、肌脱ぎ状態で座った。
そして、
妻子をして、供養せよということで、
背中の刺青を拝ませたのである。


成式は、お寺に知的サロンを開設するほど、経典をじっくり学んだ仏教徒だが、この奴も仏教徒といえよう。
刺青の天王は、仏教における四大天王しか考えられぬからである。そのうちの、首領的存在の北方多聞天王、又の名は毘沙門天王、の可能性が高い。
パンクが背中に彫っていたのが沙門天王だったからである。[→]

なんといっても、西域風のミルク粥を供えているのが面白い。もちろん、釈尊が悟る直前に供養で登場することに由来する訳だが、牛乳は簡単に入手できるとは思えず、成式家だからこそではないか。
刺青への礼拝は、現代からすると冗談としか思えないかも知れぬが、持仏を有する身分ではないから、それが最善の方策なのかも知れぬ。成式もそこらは十分理解した上で記載していると見るべきである。

毘沙門天は軍神であり、いつ何時兵役に駆り出されるかわからぬ人々だらけの社会だから、奴婢の階層であれば、それこそ武運昌隆の神として頼るしかない、という状況だったのでは。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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