表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.8.15 ■■■ 楠「卷十八 廣動植之三 木篇」に樟(=楠@日本)の一行あり。・・・【樟木】, 江東人多取為船,船有與蛟龍鬥者。 【樟/楠/Camphor tree】 江東@江蘇の人はこの樹木を取って船にすることが多い。 この木でできた船は蛟龍と闘うことがある。 楠/クスノキは西太平洋のベトナム〜揚子江以南の太平洋沿岸〜福建/台湾〜済州島/日本列島関東以南に広く分布する熱帯性の樹木である。 いかにも、海人が広げたような印象を与えるのは、(直観的には、日本の樹木は野生ではなく、半栽培種に思える。)古事記に鳥之石楠船神が登場するからである。(そうそう、樟木は海沿いだけではなく、四川、雲南の内陸部にも生えているし、九州にも山深そうな地にも古樹が残っていたりするので、ご注意のほど。) → 「古代の船材木」[2012.9.22] しかも、"蛟龍と闘う"材木と言われていたとなると、海人尊崇樹木色がますます濃くなってくる。 と言うのは、長江下流(浙江紹興)に封ぜられた王が、蛟龍除けを始めたとの、以下の文が思い出されるからである。・・・ 昔夏后小康之子 封於会稽 断髪文身 以避蛟龍之害 [「魏略」逸文@「翰苑」巻三十 倭人] 夏の時代は、日本では有史以前のトンデモない昔である。海人が主流だった倭に、そんな古代浙江の文化が伝播していたことになる。世の中、そんな古い教えを今でも後生大事に遵守している国があるのだ、ということで魏の高級官僚はビックリしたことになる。(今でも、この文化の違いは歴然。焚書大好き民族が遺していない書が日本で発見されたりするのだから。) おそらくこの船は喫水が浅く、漕ぐ労力僅少で、帆船にもし易い上に、荷を沢山積載できるということで、江南海運を支えていたのであろう。古事記の快速船「枯野」とはこの形式を指すと思われる。(後世の立派な船についてはかなりわかっている。・・・張依莉,他:「江南名舟西漳木帆船复原研究」江蘇船舶雑志33(3) 2016年) ただ、文字に注意が必要である。 中国では、"楠"はタブの木系の樹木を指すから、クスは樟脳の"樟"を使った方がよい。 魏志倭人伝には、"豫樟"が記載されており、樟は普通に生えていると見られていたようである。それよりも茂ってい可能性が高いのが"柟"である。これは間違いなくタブの木だが、この文字をクスと見なす解説も少なくない。"楩柟豫樟"という言い回しがあるのが理由かも知れぬが、前半と後半は別の木であり、両者を含めた類縁樹木のカテゴリーを指していると考えるべき用語。小生は、楩楠[正倉院宝物中倉#158に印籠蓋造の献物箱]はクスノキではなく本来的にはタブノキの表現と見る。 両者は混同されてきたと考えることになっているが、現代人ならともかく、両者を間違える訳がない。椿に比類すべき樹木として、クスノキの漢字を是非にも"木+南"としたかったからと考えるのが自然である。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |