■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2012.9.22 ■■■

   古代の船材木

古代船に関係しそうな記載を古事記で見てみようか。

まず、最初に登場するのは葦舟。淤能碁呂島での結婚のくだり。
  ・・・(伊邪那岐の命と伊邪那美の命)生みし子は水蛭子。
     此の子は葦船に入れて流し去てき。

ナイル河デルタ地帯を始め、何千年も前に使用されてきた船である。流石にエジプトでは廃れてしまったが、現代でも葦材を主体にした船は存在しているらしい。
倭の場合、葦を束ねたものを筏状にしただけの船だろうから、潮の流れや風に押されて、海面を漂流することになろう。黒潮に乗って南島から日本列島に到達するのには好都合だが、目的地を定めることは無理。

上つ巻には、もう一隻、木製でない船の話がでてくる。
  ・・・大國主の~、出雲の御大の御前に坐す時に、
     波の穗より天の羅摩の船に乘りて、---
     歸り來る~有り。
     ---//---
     此は~産巣日の~の御子、少名毘古那の~ぞ---。

羅摩とはガガイモ。馴染みが無い名称だ。日当たりのよい草原や道端などに見られる蔓性の草との解説と、花と葉の写真を見ても、見た覚えがなさそうな感じ。
しかし、よくよく写真を眺めてみれば、河川敷でよくお目にかかる綿毛を飛ばす草だ。

綿毛が付いた種が消えた後の、2つに割れた殻は確かに船形である。ただ、単なる船のイメージなら、アオギリが一番だと思う。1艘の船縁に数人が座っているような感じで、はるばる船に乗ってやってきたイメージも湧く。しかし、2つの理由から、そうはいかないのである。
1つ目の理由は、古代にはアオギリは存在していなかったから。渡来はおそらく平城京の頃である。
2つ目の理由は、形状が全く違うからだ。ガガイモ型とは、小型カヌーそのもの。つまり、大型葦船にカヌーを搭載し、潮任せで出航し、陸が見えたら漕ぎ出す渡航方式ではるばる大海を渡ってきた訳である。
その材質は定かではないが、対馬海流に乗ってやってきたのだろうから、おそらくクスノキ。「奇しき」木ということ。
もちろん、上つ巻では神として扱われている。
  ・・・次に生める~の名は鳥の石楠船の~。
     またの名を天の鳥船と謂う。
     ---//---
     天鳥船の~を建御雷の~に副えて遣しき。

まごうかたなき、クスノキ神である。雷を采配する神のおわす天との間を渡航する鳥のように飛べる船の材ということ。これで、アオギリの話を持ち出した意味がおわかりになるだろうか。中国では鳳凰がとまる霊木なのだが、倭ではすでに霊木が存在しており受け入れる余地はなかったということ。

断定はできないが、下つ巻に登場する高速船もクスノキ材だと思われる。カタマラン型だった可能性もある。
  ・・・菟寸河の西に一つの高き樹有り。
     其の樹の影、旦日に當れば淡道の嶋に逮り、夕日に當れば高安山を越えき。
     故、是の樹を切りて、以ちて作れる船は、甚捷く行く船なり。
     時に其の船を號けて枯野と謂う。


上つ巻には、もう1艘毛色の変わった船が登場する。山彦が海の宮殿に向かう際の乗り物として。
  ・・・(火遠理の命/山佐知毘古)、泣き患えて海邊に居りし時に、鹽椎の~、---
     无間勝間の小船を造りて、其の船に載せ、---。

竹籠船だそうである。日本では珍しいが、越南(ベトナム)の水上居民地区では、今でも現役と言われている。漁民用船と見るべきではなく、島嶼や東南アジア大河下流域の海人生活圏で長く使われ続けてきた一般船と見るべきだろう。
水に浸かれば竹はすぐに傷むから、水を弾く塗りを工夫しているに違いないが、それは時代とともに変わっているから、古代はどうしていたかの想定は簡単ではなかろう。それにしても、南の国に渡航するのに、楠船では無いのが面白い。荒れる大洋の航海用の船としては寸足らずだからだ。死出の旅路ということならわかるが。

あくまでも船の基本材はクスノキ。クスノキが移植できない気候の地では、他所から頂戴するしかないが、そう簡単に入手できないからやむを得ずスギも使っていたのは間違いないが、神々しさを感じさせる船ではなかった。スギ船は上つ巻には登場せず、中つ巻に登場する所以でもある。しかも、変わった形の丸太型プレジャーボートとして。ノスタルジーを感じさせるものだったかも。
  ・・・尾張の相津に在る二俣榲を二俣小舟に作りて持ち上り來て、
     倭の市師の池、輕の池に浮け、其の御子を率て遊びき。

古事記を編纂していた頃は、すでにクスノキのような材は入手難。調達可能なのはスギだけという状態だったと思われる。だからといって、船材としてのスギへの信仰心が生まれたことはなかったと思われる。柔らかくて加工し易い材だから、鉄の道具が普及すれば船を大量生産できることになり、船材はこちらで十分とされたにスギまい。
クスノキからスギへの転換はかなり古い時代だと思われるが、古墳時代に最終決着がついたのは間違いない。なにせ、埴輪製造だけで、膨大な数の禿山を作り出したのだから。持続可能な生活を営んでいた訳ではないのである。

もしも、樹木乱伐を避けていれば、クスノキは最高級船材としてお祭りに使われ続けていておかしくない。そして、クスノキ代用材としてはスギではなくタブ。それに次ぐのがタモ類ということ。今ではそんな面影は全く感じられないが。
 ・山グス(タブノキ)
 ・シロダモ(シロタブ)
 ・クロダモ(ヤブニッケイ)
以下は船材に向いているのかはなんとも。撓んでも復帰できる力がある強靭な材であるのは間違いないが。
 ・谷地ダモ(タモノキ)
 ・アオダモ(コバノトネリコ)
 ・アカダモ(アチダモ)
 ・ミズダモ(トネリコ)


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