表紙
目次

📖
■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.8.16 ■■■

葡萄[追加]

「卷十八 廣動植之三」の葡萄の記載部分は、「ソグド商人」[→]に関する部分だけ眺めたが、俗に謂う「王母蒲萄」は除いたので、そこを見ておこう。
もともと、この項は、出だしが面白い。・・・

【蒲萄】,
俗言蒲萄蔓好引於西南。

俗言では、
ブドウの蔓は、好んで、西南方向に引っ張っていく、と。


王女の部分とはコレ。・・・

貝丘之南有蒲萄谷,
谷中蒲萄,可就其所食之,或有取歸者即失道,
世言王母蒲萄也。
天寶中,沙門曇霄因遊諸嶽,至此谷,得蒲萄食之。
又見枯蔓堪為杖,大如指,五尺余,
持還本寺植之遂活。
長高數仞,蔭地幅員十丈,仰觀若帷蓋焉。
其房實磊落,紫瑩如墜,時人號為草龍珠帳。

貝丘の南に蒲萄谷がある。
(「史記」杜注に"沛丘:東安博昌縣南有地名貝丘"とあるので、場所は山東と見なすようだが、どこにでもありそうな地名である。)
谷の中にあるブドウは生えている場所で食べた方がよい。
取って持って帰ろうとすると道がわからなくなり迷子になったりするからだ。
世間では、コレを"王母蒲萄"と呼ぶ。
天宝期
[742-756年]のこと、
沙門の曇霄が諸処の山嶽を回遊していた。
この谷に至り、ブドウを得て、食べたそうだ。
さらに枯れた蔓があり、甚だ杖によさそうに見えた。
太さは指位で、長さ5尺ちょっと。
寺に持って帰り植えてみたら復活した。
蔓の長さは数仞に及び、作る日蔭の幅は10丈に達した。
仰ぎ観るに、帷蓋の如し。

(動物の死骸を覆って埋めるのに使用するものだが、垂れ幕と覆い布の意味としておこう。)
その房には、実が、山に石がゴロゴロしているかのように、まさに鈴成り。
紫色の鮮やかな玉が墜ちるが様な雰囲気。
当時の人々は、それを号して、"草龍珠の帳"と呼んでいた。


要するに、ブドウは珍奇水果と言うより、仙果とみなされていたということ。
紫色がある種の幻想を生み出したのかも、と言うか、蓬莱山的なイメージを重ね合わせていたのではなかろうか。
仏教僧は、文化交流の核を担う人々であり、様々な有用植物を移入する役割も果たしていた訳であり、常識的に考えれば、西域からもってきたと考えるべきだろう。しかし、それをなんとかして中国で生まれたことにしたいのが中華思想というにすぎない。成式はそこら辺りをよくご存知である。

ちなみに、現時点でブドウ生産量は中国が世界のトップ。気候を考えると、新疆ウイグル吐魯蕃/トルファンが産地の代表となるだろうが、広大な大陸であるから、唐代、山東にも果樹園が存在していない訳がなかろう。1892年創業の「張裕ワイン」は山東煙台産と聞く。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>>    トップ頁へ>>>
 (C) 2017 RandDManagement.com