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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2016.4.24 ■■■

ソグド商人

玄奘の報告をネタにして書いたと思われる「珍習(文化)」話をとりあげた。[→]
実にインターナショナルな時代であったことがよくわかる。その交流を支えていたのは、胡商と呼ばれるソグド/利総商人。内陸湖アラル海に注ぐアムダリア-シルダリアの流域に住んでいたペルシア系の人々らしい。その繁栄の中心はシルクロードの交通の要衝たるサマルカンド[康国]を含む胡六国。隣にはギリシア移民都市群、トカラ/覩貨邏もあり、文化的な交流には絶好な地でだったから自然な流れに映る。

シルクロードはソグドネットワークありきだったと見てもよさそう。
ペルシア系の人々なので、その交易は、アフリカの角まで及んでいたようだし。
撥拔力國[ベルベラ@ソマリア],在西南海中,不食五穀,食肉而已。常針牛畜脈,取血和乳生食。無衣服,唯腰下用羊皮掩之。其婦人潔白端正,國人自掠賣與外國商人,其價數倍。土地唯有象牙及阿末香。波斯[ペルシア]商人欲入此國,圍集數千,人齋紲布,沒老幼共刺血立誓,乃市其物。自古不屬外國。戰用象排、野牛角為槊,衣甲弓矢之器。歩兵二十萬。大食[アラブ]頻討襲之。 [卷四 境異]

長安にも、ソグド商人が大挙して流入していたのは間違いない。それは利もさることながら、農耕系のペルシア人の帝国(ササン朝)がアラビア半島(メッカ〜メディナ)で生まれた遊牧系のイスラム宗教勢力に倒されたことが大きかろう。ゾロアスター教徒は、宗教的に自由な唐に半ば亡命状況で移り住んだと解釈することも可能。

しかし、ソグド重用の行き着くところは、安史の乱[755-763年]

その安禄山の「安」はもちろんソグド姓。[→<貴族の姓>@「婿選び」](当人は、サマルカンド出身のソグド-突厥混血とされている。)
反乱を招いたのは、社会がソグドこと胡の文化に溺れたことにあり、率先して、その方向に振ったのが玄宗と楊貴妃だった。・・・というのが、新楽府運動家達の見方である。
  「新楽府 胡旋女 戒近習也」  白居易
胡旋女,胡旋女,心應弦,手應鼓。
弦鼓一聲雙袖舉,回雪飄搖轉蓬舞。左旋右轉不知疲,千匝萬周無已時。
人間物類無可比,奔車輪緩旋風遲。曲終再拜謝天子,天子為之微啓齒。
胡旋女,出康居,徒勞東來萬里余。中原自有胡旋者,斗妙爭能爾不如。
天寶季年時欲變,臣妾人人學圜轉。中有太真外祿山,二人最道能胡旋。
梨花園中冊作妃,金障下養為兒。祿山胡旋迷君眼,兵過黄河疑未反。
貴妃胡旋惑君心,死棄馬嵬念更深。從茲地軸天維轉,五十年來制不禁。
胡旋女 莫空舞,數唱此歌悟明主。
  「和李校書新題楽府十二首 其九 胡旋女」  元
天宝欲末胡欲乱,胡人献女能胡旋。旋得明王不覺迷,妖胡奄到長生殿。
胡旋之義世莫知,胡旋之容我能傳。蓬断霜根羊角疾,竿戴朱盤火輪R。
驪珠迸珥逐飛星,虹暈輕巾掣流電。潜鯨暗波海,回風乱舞当空霰。
万過其誰辨終始,四座安能分背面。才人觀者相為言,承奉君恩在圜變。
是非好悪随君口,南北東西逐君眄。柔軟依身著佩帯,裴回繞指同環釧。
佞臣聞此心計回,惑君心君眼眩。君言似曲屈為鈎,君言好直舒為箭。
巧随清影触處行,妙学春鶯百般囀。傾天側地用君力,抑塞周遮恐君見。
翠華南幸万里橋,玄宗始悟坤維轉。寄言旋目与旋心,有国有家当共譴。

その気分よくわかる。なにせ、帝室ぐるみで、ソグド人大歓待の図が出来あがっていたのだから。[→「李王朝前期略史」]
 "貴妃放康國[サマルカンド]子於坐側"
 "安祿山恩寵莫比,錫無數。"

このような好待遇に人々が違和感を抱かなかったのは、崑崙山の西王母信仰と西域の民が重なっていたからでもあろう。ソグド人は崑崙山脈辺りの人々とのイメージが生まれない筈がないからである。

成式は、どう考えていたのかは知るよしもないが、ソグド商人の力がいかほどかわかるお話を挿入しており、冷静に彼らの姿勢を見つめていることがわかる。
それは深い交流があったからでもあろう。インターナショナル感が備わった人だったから、ソグド人からは相当に知的刺激を受けていたろう。

その辺りでの成式型指摘といえば、ヘンテコな商品が売られていたお話だろう。鋭い観察眼が発揮されていることに驚かされる。

【測盗】[卷8 支動]である。[→「人間心理」]
狼の筋を焼くと盗人が判明するというのだ。そんな特殊な物を簡単に入手できるのものかネ、と感じてしまうが、実はそれがたいした手間ではないからビックリ。西市で胡の商人から購入できるのだ。ソグド商人はそんなものまで商売している訳で、測盗という効能を拡宣したからこそ成り立っているビジネス。高価な商品を売っておいて、それが盗まれた時に使うべき商品も用意するとの、実にしたたかなビジネス。

さらに、ソグド商品が、どの程度、李朝上層部に食い込んでいるのかわかる話も取り込んでいる。

職掌として右座ということは、帝が長官を兼ねる尚書省の宰相を指すと思われ、姓が李だから、帝の血族か特別使用を認められた家の話がでてくるが、いかにも深い繋がりがありそうな話が書いてあるのだ。
ただ、お話の主旨は、あくまでも僧のお布施に係るものでしかない。しかし、よくよく考えれば、それはソグド商売の本質を語っているとも言えるのだ。

話は単純。トップ官僚の邸宅での斎事を請け負ったというのだ。僧侶は、これならたんまりとお布施頂戴と皮算用。なにせ、前例があり、仏を称えただけで鞍一式を頂戴し、その価値が七万だったというのだから。
期待が膨らみ、力も入ったのだが、なんと今回のお布施は長さ数寸の朽ちた釘のようなものだけとくる。
当然、失望。
しかし、数日たって冷静になってから、よくよく考えると、下さった相手は大臣。まさか、そんなくだらんモノの筈がなかろう、と。
と言うことで、西市のソグド商人を訪れた。
すると、案の定、なかなか手に入らぬものとのこと。しかも、これなら言い値で買おうと言う。・・・ソグド商人の財力たるや相当なものであることがわかる発言である。
僧侶は、鞍の例もあるから、試しに、10万とふっかける。
これを聞いて、ソグド商人大笑い。そんなもんじゃありませんゾ、と。
それならと、50万でどうだ、と大きく出てみた。
ソグド商人こりゃ駄目なお方と見て、その価値を教えた。なんと1,000万だと言うのである。
この金額には驚くが、それをポンと支払う。そんな商売を行っていた訳だ。
尚僧はコリャなんなの、と尋ねたところ、答えは「宝骨」。
間違いなく、ナンダカネ物だが、商品価値を決めるのはソグド商人であることがよくわかる。その価格から見て、市場は、ソグド人によって人為的に創出されたバブルで賑わっていたと見てよかろう。今回の僧侶もその喧伝役をさせられたことになる。
成式先生、このあたりの本質をよく見ておられる。
寺主元竟,多識釋門故事,
雲李右座毎至生日,常轉請此寺僧就宅設齋。
有僧乙嘗嘆佛,施鞍一具,賣之,材直七萬。
又僧廣有聲名,口經數年,次當嘆佛,因極祝右座功コ,冀獲厚親。齋畢,簾下出彩,香羅籍一物,如朽釘,長數寸。僧歸,失望慚數日。且意大臣不容欺己,遂攜至西市,示於商胡。
商胡見之,驚曰: “上人安得此物?必貨此,不違價。”
僧試求百千,胡人大笑曰: “未也。”
更極意言之,加至五百千,胡人曰: “此直一千萬。”
遂與之。僧訪其名,曰: “此寶骨也。”
  [續集卷五 寺塔記上]
尚、この部分は、「李王朝前期略史」[→]の隠れた補筆でもある。
李右座とは、宰相の李林甫のことだからだ。この人、安禄山とコンビを組んだようなお方。安禄山は、このルートを通して楊貴妃に取り入ったのではないか。そして、最終的には、北方の広大な辺境地域を治める権限を得たのである。その政治基盤を使って、さらなる交易活動を進め、巨万の富を築いたのである。補佐役史思明とは、ソグド商人の頭領と見るべきであろう。
しかし、宰相が楊貴妃の従兄である楊国忠に変わり、急激に対立が深まる。唐の北方国軍を手中にしていた安祿山は立ち上がるしかなくなる。当然ながら、太平の世を謳歌していた玄宗側が対処できる訳がない。中央の国軍は形骸化していたからである。

ソグド商人の強味はおそらく貴石類とペルシアのガラスの入手ルードを押さえていたこと。ここが上流階層と繋がるには一番の早道。
シルクロード経由の貢ぎ物が帝室で珍重されているのだから、貴族も一級品無しではいられないからだ。
命取上清玉珠,以絳紗裹之,系於頸。是開元中賓國[カシミール or ガンダーラ]所貢,光明潔白,可照一室,視之,則仙人玉女、雲鶴降節之形搖動於其中。[卷十 物異]
上流階級で、以下のような高価な品々を持っていない人はいなかったのではなかろうか。
 頗梨[ガラス] 琉璃・馬腦[彫刻素材] 琥珀[こちらは寧州産かも]  [卷十一 廣知]

それと、ソグド人は都市国家連合を形成しており、地図上は突厥の支配域になっていても、実質的自治圏だったから、それが交易に有利にはたらいたことも大きかろう。ソグドネットワーク内だけの、交易の上の契約観念が形成されていた違いないからだ。
従って、大規模な交易プロジェクトも可能だったと思われる。多分、それは奴隷と馬。
特に、西突厥域は中華帝国垂涎の名馬「汗血馬」の産地でもある訳で。なにせ、現代でもそれが通用する位なのだから。・・・"新疆「シルクロード・バブル」推進 「一帯一路」当て込む 1頭60億円、汗血馬テーマパークも"[毎日新聞2015年8月18日東京朝刊]
馬の臭いはシルクロードを流れるカネから来るのである。
 馬種蒔 倶位國[コーワル]  [卷十 物異]

それと、葡萄酒や干葡萄も少なからず長安に流れ込んでいたのは間違いなかろう。楊貴妃といえばライチだが、ブドウ酒も愛された可能性は高かろう。"生"葡萄についての話題性も高かったようだし。
魏肇師曰:
 “魏武有言,末夏渉秋,尚有余暑。酒醉宿醒,掩露而食。甘而不飴,酸而不酢。道之固以流味稱奇,況親食之者。”
瑾曰:
 “此物實出於大宛
[フェルガナ],張騫所致。有黄、白、K三種,成熟之時,子實逼側,星編珠聚,西域多釀以為酒,毎來貢。在漢西京,似亦不少。杜陵田五十畝,中有蒲萄百樹。今在京兆,非直止禁林也。”
信曰:
 “乃園種戸植,接蔭連架。”
昭曰:
 “其味何如橘柚?”
信曰:
 “津液奇勝,芬芳減之。”
瑾曰:
 “金衣素裹,見苞作貢。向齒自消,良應不及。”

  [卷十八 廣動植之三]

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.
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