表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.8.21 ■■■ 蜜柑と杏先ずは蜜柑。[卷十八 廣動植之三 木篇]・・・【甘子】, 天寶十年,上謂宰臣曰: “近日於宮内種甘子數株,今秋結實一百五十顆,與江南蜀道所進不異。” 宰臣賀表曰: “雨露所均,混天區而齊被; 草木有性,憑地氣而潛通。 故得資江外之珍果,為禁中之華實。” 相傳玄宗幸蜀年,羅浮甘子不實。 嶺南有蟻,大於秦中馬蟻,結窠於甘樹。 甘實時,常循其上,故甘皮薄而滑。 往往甘實在其窠中,冬深取之,味數倍於常者。 玄宗の治世[712-756年]、天宝10年[751年]のこと。 宰臣に言った。 「最近、宮内で蜜柑類の樹木を数株植えたが。 この秋、結実。採ったら、全部で150個。 江南や蜀道から進呈して来るモノとどこも変わらぬ。」 宰臣は慶賀にたえぬと、上奏文を表明。 「雨露は、誰でもに均等。 天は一つにまとまり、総てを被覆。 草木には、それぞれの性あり。 地がつきまとい、その気は隠れて通ず。 故に、 江南の珍果の資質を得て、 禁中の華實と為すこと素晴らし。」 伝承によれば、 玄宗が蜀に行幸した年、 [安禄山の攻撃で蜀に避難] 羅浮山仙術のメッカ@広東増城の北東の蜜柑が実らなかった。 嶺南@両広〜海南を中心とした華南域には、 秦中に棲む馬蟻より大きい蟻がおり 蜜柑の樹に巣を作るのだが、 結実する時に、その上を常に巡回する。 そのため、皮は薄くなり、滑るようになる。 往々にして、蜜柑の実がその巣のなかにあり、 冬が深まってからその実を取ると、 味は、通常のものより数倍濃い。 イヤ〜、このやり取り、冬場に紀伊国屋文左衛門が紀州から江戸に船で運んだ蜜柑を想起させるものがある。暑くなっても奇跡的に倉庫に残っていた、たった一個のミカンがとてつもない値段になった話のこと。 それはそれとして、蟻と蜜柑だが、成式、自らの観察を踏まえて書いていそう。 と言っても、ママ記述しないところがミソ。 普通は、蜜柑といえば、蟻と尻から甘い汁を出す蟻牧(油虫)の関係を書くもの。(何の防御知識もない素人栽培者のミカン園では、油虫より、貝殻虫が沢山つくのが普通。小生は、蟻はこちらの方が好きと睨んでいる。)ついつい、そう考えてしまうのは、我々は読書を通じた知識が頭に叩き込まれているから。しかし、そんな"事実"、現場派なら即座にわかる程度のことでしかない。従って、それにはなんら触れていないのである。 その上で、蟻は実の上を歩き回っているゾとの指摘。確かに、その通り。皮が破れている部分から、蟻が入り込んでいたりするのである。(つまり、素人から見れば、皮が薄いので、表面のワックス成分で虫がつかまりにくくしているのでは、となる。) さらに、観察が鋭いことがわかるのは、蜜柑の木のなかに巣をつくる習性を持つ蟻がいるとの指摘。蟻は出入り口にゾロゾロという訳ではないから、普通は地下の巣から木を登って来た蟻と考えてしまい、そのように考えが及ばないもの。これを知っているとは流石。もっとも、栽培者に聞けばすぐわかる、彼らの常識の範疇だから。なにせ、対策をうたなければ、そのうち、木の芯までやられ、木が崩れてしまう。 ミカンの樹が育って実がなったと大喜びするのは早いゾ。蟻の巣ができていないか、早速点検したら、と口から言葉がでかかっている訳だ。 ご参考に。→ 「柑橘」[2015.8.1] 次は杏。・・・ 【漢帝杏】, 濟南郡之東南有分流山,山上多杏,大如梨,黄如橘,土人謂之漢帝杏,亦曰金杏。 濟南郡@山東章丘の東南に分流山あり。 この山の上には、杏の木が多い。 実の大きさは梨ほどで、橘のような黄色。 地元の人々は、これを"漢帝杏"と言っている。 又、"金杏"とも。 "漢帝杏"と呼んでいる理由は、栽培種だから。洛陽のような大都会近辺では広く栽培されていたようである。 謂之漢武帝上苑之種也。 今近汴洛皆種之、熟最早。 [李時珍:「本草綱目」] 杏は、その美味しさというより、政治的に特別扱いだったから、人気があった可能性も。 長安の曲江池の側の杏園で、科挙をパスした官僚の卵が集められて大宴会。これがことのほか有名だったようである。禁苑にあった梨園や葡萄園とは一寸違う感じがする。 「哭孟寂」 張籍 曲江院里題名処,十九人中最少年。 今日春光君不見,杏花零落寺門前。 「遊趙村杏花」 白居易 趙村紅杏毎年開,十五年来看幾回。 七十三人難再到,今春来是別花来。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |