表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.12 ■■■ 樓羅えらくわかりにくい文章だが、対象そのものも、えらくわかりにくく、いかにも、「續集卷四 貶誤」にふさわしそうな話。全く知らない言葉なので、考証学がお好きな方を除けば、退屈以外の何物でもないが。・・・ 予在秘丘,嘗見同官説, 俗説 樓羅,因天寶中進士有東西棚, 各有聲勢,稍傖者多會於酒樓食畢羅, 故有此語。 予があの秘丘(隠居の棲家である秘書省)にいた頃のこと。 同僚の官吏からご説を拝聴した。 それは"樓羅"についての俗説。 天寶[742-756年]年間、 進士は東西の棚に分かれて纏まっていた。 それぞれセクト化して声を上げていた。 僅かでも賤しい体質があったりすると 酒樓での酒盛りと "畢羅"を食べることが多かった。 それ故に、この言葉ができたのだ。 → "畢羅"の店での「受験生の錯乱」 当然ながら、文献による検証も。・・・ 予讀梁元帝《風人辭》雲: “城頭網雀,樓羅人著。” 則知樓羅之言,起已多時。 一雲: “城頭網張雀,樓羅人會著。” 続いて、 予が読んだ、梁元帝:「風人辭」を引いておこう。 「城頭が網で雀を獲った。 "樓羅"して、その人ははっきりと知られることに。」 つまり、この時代に"樓羅"という言い回しは知られており、 多くの時代に登場する言葉であることがわかる。 又、こうも言われている。 「城頭は網を張って雀を獲った。 "樓羅"して、人々の会合がはっきりと知られることに。」 今村注に紹介されている、宋 呉曾:「能改齋漫録」卷一事始 樓羅の記載を眺めないと、これではさっぱりわからない。 そこでは、宋 黄朝英:「緗素雜記」が細かく追っている説が紹介されている。 最初に、 【「酉陽雜俎」】…上記ママ。 次に、 【蘇鶚:「演義」】 樓羅,"乾了"之稱也。 俗云"騾"之大者曰"樓騾", "騾""羅"聲相近,非也。 "婁敬"、"甘羅",亦非也。 蓋"樓"者,"攬"也; "羅"者,"綰"也。 言 人善乾辦于事者, 遂謂之"摟羅"。 (摟字從手旁作婁。) (「爾雅」"婁","聚"也。) これと近いが、別な説。 【「南史顧歡傳」】 蹲夷之儀,婁羅之辨。 【朱貞白詩@「談苑」】 太婁羅…"婁羅"字を用いているにとどまる。 【「五代史劉銖傳」】 諸君可謂"僂羅"兒矣…文字に人偏が加わった。 これで終わりではない。 「酉陽雜俎」では梁元帝を引いているが、北齊文宣帝に、その文言が登場しているゾと指摘しているのである。 笑ってしまうのは、すでにこの時に難解と言っている点。・・・ 然予以為此説久矣,北齊文宣帝時已有此語。 王マ曰: 「樓羅樓羅,實自難解。」 蓋不始于梁元帝之時。 以表考之, 梁文帝即位,是歲己巳; 次年庚午,北齊宣帝即位; 至壬申年,梁元帝方即位。 今據【「緗素雜記」】 以樓羅事引梁元帝風人辭為始,不當,蓋元帝在宣帝之後。 最初に登場する俗説はすぐにいい加減なものであることがバレるが、だからといって、それが間違いという訳ではない。 その時代には、流行り言葉として使われており、その使う時の気分を考えれば当たっているのである。 一方、初出とされる文宣帝の時代も、語源などさっぱりわからなかったが、使われていたのである。 ギャグやオノマトベはたまたま生まれて人気が出れば標準用語になることもあるし、なかには昔の言葉を恣意的に誤用したら皆が真似するようになったりもするだろう。 言葉とはそういうもの。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |