表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.9.18 ■■■ 蝿の手掴み「【詭習】怪力達人」[→]で張芬の話をとりあげた。ここでも、張芬の話。一見、誰もできそうにない、細かな動きも得意なのである。・・・ 予未虧齒時,嘗聞親故説, 張芬中丞在韋南康臯幕中, 有一客於宴席上,以籌碗中酷、撃蠅,十不失一, 一坐驚笑。 芬曰: “無費吾豆。” 遂指起蠅,拈其後腳,略無脱者。 又能拳上倒碗,走十間地不落。 《朝野僉載》雲: “偽周滕州録事參軍袁思中,平之子, 能於刀子鋒杪倒箸揮蠅起, 拈其後腳,百不失一。” [續集卷四 貶誤] 成式がまだ乳歯が生え変わっていなかった時のこと。 親類が話をしているのを聞いていたことがあった。 今になって、それを思い出したという。そんなお話である。 中丞の張芬は、南康王 韋の幕中にいた。 宴席で、ある一人の客が籌碗の中にある酷、で蝿を撃った。 10発中1回もハズさず、一座一同驚いたが、笑いころげた。 しかし、張芬は違って、一言文句。 「吾輩の豆を消費することなかれ。」 そして、そのまま指を立て、蝿の後脚を捻じって捉えた。 おおかたの蝿は、その手にかかると脱出できなかった。 又、別な座興も。 拳の上に碗を倒立させて、 地に落とさず、10間走ることができたという。 「朝野僉載」には、 唐朝のインターバル期間とも言える武則天の天下の時、 即ち、偽周の頃、 平の子、滕州録事參軍の袁思中の話が収載されている。 刀の鋒杪に箸を倒立させ、振り回すことで蠅を起こし、 その後ろ脚を捻じって捉えたという。 百回行っても一回の失敗もなかっとのこと。 観察が鋭い成式にしては、蠅の習性は余り見ていなかったようである。 蝿だらけの社会なら、人間は一般的な邪魔者でしかなく、危険な敵として認識されていない。従って、手掴みはそう難しいことではない。(蜜蜂同様とまではいかないだけ。)もちろん、簡単とまではいかないが、ポイントを押さえればどうということはない。・・・ [1] 不用心であることの確認 手足をじっとしているのは緊張している証拠。 逃げる方向を考えていると見てよい。 手足を動かしている時は安心しきっている。 動物は個体差があり、それを見抜くこと。 [2] 前もって、飛び立つ時の動線を記憶 たいていは、先ず上方に。 飛んで行く方向は予想できる。 [3] 攫み易い方向と部位に限定 斜め後ろから近付くとよい。 後脚 or 羽を狙って一気に摘まむ。 練習が必要である。 (腹を潰すと気持ち悪いからではない。それを躊躇すると上達は無理。) 従って、運動神経が発達している人なら、その気になって鍛錬すれば、箸でつかまえることも可能である。但し、どこかの流行映画のように、空中は無理。そこらにとまっている蝿を対象にするという前提で。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2017 RandDManagement.com |