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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.10.19 ■■■

柳宗元の栽培植物

河南で少尹を務めていた韋絢の怪奇な虫の話が収載されている。[→「トゲトゲ」]少年時代から生物観察好きな御仁のようで、成式とウマがあったのかも知れぬ。
ただ、植物話の方は怪奇ではない。・・・

韋絢雲:
 “湖南有靈壽花,
  數蒂簇開,視日如槿
[ムクゲ],紅色。
  春秋皆發,非作杖者。”


ところが、この植物がわからないのである。
"靈壽"とは、普通名詞のようなものであるが、"靈壽木"となると、杖用として有名な樹木の固有名詞。当時の上流階級なら誰でもが知るほどポピュラーなものだったのは間違いないのである。
と言うのは、奈良の都でも有名だったのだから。・・・
四年春正月…癸亥。有詔。賜左大臣多治比眞人嶋靈壽杖及輿臺。優高年也。[「続日本紀」@797年 巻第一(文武天皇)]

もちろん検索すれば、大陸の漢詩には度々登場する用語である。杖をついて宮廷に入れることはとてつもない栄誉だったのであろう。
漢代の例。・・・
  「靈壽杖頌」 王粲[177-217年]
 茲杖靈木.以介眉壽.奇幹貞正.
 不待矯.據貞斯直.杖之爰茂.


この樹木の特徴としては、自然に生えている木をそのまま杖に使える点であることははっきりしており、竹に似ているとの記述だらけだが、具体的にどの種かわかっているとは言い難い。
…靈壽實華,… [「山海經」海内經]
靈壽木名也,竹似,有枝節。 [晉 郭璞 注] 
賜太師靈壽杖。 [「漢書」卷八十一 孔光傳]
木似竹,有枝節,長不過八九尺,圍三四寸,自然有合杖制,不須削治也。 [顏師古 注] 
菜之美者:崑崙之蘋,壽木之華。 [「呂氏春秋」孝行覽 本味]
壽木,昆倉山木也,華,實也。食其實者不死,故曰壽木。 [高誘注]


「本草綱目」木之三(灌木類五十一種)靈壽木がまとめているものの、わかりやすくなっている訳ではない。ただ、鞭にも使うのだから、細いとかなりしなるタイプの材であることがわかる。
【靈壽木】
時珍曰:陸氏《詩疏》云:
 即也。
 節中腫,似扶老,即今靈壽也。
 人以作杖及馬鞭。
 弘農郡共北山有之。


ところが、問題は、"靈壽花とは靈壽木の花では無い"と言っているように読める点。
もちろん、"靈壽"と呼ばれる花が知られているならよいが、さっぱり蜜からない。言葉が言葉であり、そんなことがありえるものだろうか。(【検索で見つかったもの】泡花樹[多花泡花樹/泡吹の類縁]の根が生薬にされており、《陝西中草藥》によれば、靈壽茨(降龍木, K果木 or 龍須木)と呼ばれているそうだ。[@中醫中藥網中藥詞典中藥詞典]…花の特徴から見て該当しない。)

「トゲトゲ」での韋絢の言い草を考えると、独特のモノの見方をしている人のような感じがするので、小生は、現実には"靈壽花とは靈壽木の花である"が、精神的には"靈壽花とは靈壽木の花では無い"と言っていると見た。不可思議極まりないが、もう一言を読んで、ふと、そんな気分に襲われたのである。・・・

又言:
 “衡山祝融峰下法華寺,
  有石榴花如槿,紅花。
  春秋皆發。”


どうということもないザクロの花が咲くというだけ。("海"がついていにから、西域から移入されたものではなさそう。)それが、一体、ナンナンダ、となろう。
案の定と言ってはなんだが、南岳衡山にひときわ聳える祝融峰は超有名であっても、その峰の下に法華寺があるという情報はみつからない。

う〜む。
こうなると、大胆な推定で考えるしかなさそう。
そこで、ハタと気付いた。全くの妄想の可能性も高い訳ではあるが。・・・
南岳衡山の地の最寄り地は衝陽でそこを流れる川の上流最近接都市といえば永州[@湖南]

柳宗元は793年進士及第。805年末に永州司馬として流された。翌年夏に"法華寺"西亭に住まうことに。

待望の長安帰還が実現した際に柳宗元が一番最初に通るのが、衡山辺りである。(それは期待と逆でしかなかったのだが。)
  「過衡山見新花開卻寄弟」 柳宗元
 故國名園久別離,今朝楚樹發南枝。
 晴天歸路好相逐,正是峰前回雁時。


長安で政治に係ることもさることながら、そこで育てた植物が忘れられない、植物愛好家であることがわかろう。あたかも雁のように南に流されてきた訳だが、北の渡り鳥の南進限度も南岳衡山までで、自分の居た法華寺はそのほんの少し南ということになる。
  「法華寺石門精舍三十韻」 柳宗元
 拘情病幽鬱,曠志寄高爽。願言懷名緇,東峰旦夕仰。
 始欣雲雨霽,尤ス草木長。道同有愛弟,披拂恣心賞。
 松谿入,石棧縁上。蘿葛綿層甍,莓苔侵標
 密林互對聳,絶壁儼雙敞。塹峭出蒙籠,墟險臨滉瀁。
 稍疑地脉斷,悠若天梯往。結構罩羣崖,廻環驅萬象。
 小劫不逾瞬,大千若在掌。體空得化元,觀有遺細想。
 喧煩困,跼蹐疲魍魎。寸進諒何營,尋直非所枉。
 探奇極遙矚,窮妙清響。理會方在今,神開庶殊曩。
 茲遊苟不嗣,浩氣竟誰養。道異誠所希,名賓匪余仗。
 超藉外獎,俯默有内朗。鑑爾揖古風,終焉乃吾黨。
 潛鎖,高歩謝塵。蓄志徒爲勞,追縱將焉倣。
 淹留暮,眷戀睇遐壤。映日雁聯軒,翻雲波泱
 殊風紛已萃,郷路悠且廣。羈木畏漂浮,離旌倦搖蕩。
 昔人歎違志,出處今已兩。何用期所歸,浮圖有遺像。
 幽蹊不盈尺,虚室有函丈。微言信可傳,申旦稽吾


その西亭に住んだのだが、植物愛好家であるから、この地でも植栽を行ったのである。"海石榴"の詩が残っている。しかも、渡来木を植えたのである。
この地では、これだけが楽しみであったのだろう。・・・
  「始見白髮題所植海石榴」 柳宗元
 幾年封植愛芳叢,韻艷朱顏竟不同。
 從此休論上春事,看成古木對衰翁


  「新植海石榴」 柳宗元
 弱植不盈尺,遠意駐蓬瀛。
 月寒空階曙,幽夢彩雲生。
 糞壤擢珠樹,莓苔插瓊英。
 芳根顏色,徂爲誰榮。


そして、その湖南の地に"靈壽木"も植えたというのである。・・・
  「植靈壽木」 柳宗元
 白華照寒水,怡我適野情。
 前趨問長老,重復欣嘉名。
 蹇連易衰朽,方剛謝經營。
 敢期齒杖賜,聊且移孤莖。
 叢萼中競秀,分房外舒英。
 柔條乍反植,勁節常對生。
 循玩足忘疲,稍覺歩武輕。
 安能事剪伐,持用資徒行。

この詩の後半はこんな感じか。植物愛好者の目で、樹木を観察しており、おそらく成式も感じ入ったであろう。・・・
…いささかなりと言えども、
  靈壽木の、孤立している茎を移植してみよう。
この木だが、
 蕾が群がり集まり、いかに秀でるか競いあっている。
 房々に分かれ外側に向かってはなひらく状況。
 柔軟な枝は反り返って立ち上がり、
 頑丈で、節は常に対生で、しっかりと伸びていく。
 この木に寄りそって愛玩すれば、足は疲れを忘れてしまう。
 僅かとはいえ、歩行が軽くなってくるのがわかる。
 こんなことができる樹木を伐採し、
  それを歩行用杖として手に持つなど、
     お気軽にできるものかネ。


成式サロンでは、韋絢の馬鹿話をネタにして、柳宗元の詩の観賞会が開催されていたのではなかろうか。もちろん参加者は動植物愛好家。
靈壽木は愛玩すべきもので、杖用などもっての他。ムクゲの花木の価値とかわらぬと盛り上がったのかも。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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