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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.11.24 ■■■

熊胆

実際に、"くまのい"という生薬を見かけたことは無いが、その名前だけは耳にしたことがあると言う人が多いのでは。
唐代もそんな状況だったのかは、なんとも言えぬが、熊胆の話が収載されている。・・・

熊膽,春在首,夏在腹,秋在左足,冬在右足。

熊の胆嚢を干して乾燥させた"熊膽[=胆]"は有名である。苦味があり、消化器系全般の薬として用いられると聞いたことがあるが、古くは黄疸の薬だったようである。
大陸では、現在も犀角と並ぶものとして、特別高貴薬として流通していそうな雰囲気濃厚である。
初出は、蘇敬:「新修本草」@659年らしいから、薬剤利用は唐代になって始まったようである。

後世"優良品生産地"として喧伝していた朝鮮半島では、熊を生け捕りにして、生きたまま胆嚢を採り出すことをセールスポイントとしていた点から見て、唐代もそのような方法を採用していた可能性は高そう。
漢字から見ても、膽=肉+・[=(危)+儿(兒)+言]であるから、気力を言として周囲に発する器官と見なされていたに違いなく、言葉を発せない死体の状態になってしまえば、その価値はなくなると考えてもおかしくない。現代で言えば、極めて残忍な方法で熊を殺していたことになろう。
なにせ、"鼠膽在肝,活取則有。"の世界なのだから。[→]

と言っても、1頭から小さな嚢1つしか採れないから、需用と供給のバランスは端から崩れていた筈で、中華帝国内で流通していた熊膽は偽物だらけだったと考えてもよかろう。どうやって作っていたかは想像がつかぬが。
従って、それを薄々知っていた、成式の半ば冗談話と読めないこともないが、そんなことを暴露してもなんの意味もないから、この文章収載の意図は別なところにある、と考えるべきだろう。

仏教徒の成式としては、狩猟を行っているのだから、熊膽を利用することは肯定的に捉えていただろうが、生きている個体から胆嚢を取り出すようなことは許しがたかったに違いなかろう。

そんな気分で、この文章を引いてきたのではないか。
おそらく、どこかの寺僧が考え付いて、広めようとしたのだろう。
しかし、それが奏功する訳がない。
"宗族繁栄のためなら何でも行うべし"というドグマ宗教の儒教が普及している限り。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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