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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2017.12.16 ■■■

根塊の怪

根っこの怪奇譚。[續集卷二 支諾皋中]・・・

陜州西北白徑嶺上邏村村人田氏,常穿井得一根,大如臂,節中粗,皮若茯苓,氣似術。
其家奉釋,有像設數十,遂置於像前。
田氏名登娘,年十六七,有容質,父常令供香火焉。
余,女常見一少年出入佛堂中,白衣躡履,女遂私之,精神舉止有異於常矣。
其物根毎至春擢芽,其女有娠,乃以其事白於母。
母疑其怪,常有衲僧過門,其家因留之供養。
僧將入佛宇,輒為物拒之。
一日,女隨母他出,僧入佛堂,門才,有鴿一只,拂僧飛去。
其夕,女不復見其怪。
視其根,頓成朽蠹。
女娠才七月,産物三節,其形如像前根也。
田氏並火焚之,其怪亦絶。

陜州西北の白徑嶺上の邏村の村人である、田氏の話。
井戸を穿鑿していたら、植物の根が出て来た。
大きさは肘程度、節があり、その中は粗っぽい状態。
皮は茯苓の如きで、発する気は術
[=朮]に似ていた。
田氏の家は、仏教を奉じており、設置した仏像の数は数十にのぼっていた。
そこで、その根を仏像の前に置いた。
田氏には登娘という名の、16〜17歳、容姿端麗な娘がおり、何時も、父は香と焚を仏に供える役目を与えていた。
1年余たった頃、ある少年が仏堂の中へと出入りするのを、その娘が見つけた。白衣を着て履をはいていた。
そして、娘はその少年を自分のものにした。
すると、精神にも行為にも何時もとは異なる点がでてきた。
そのモノの根は毎年春になると芽をふいた。
娘も妊娠したので、その事を母に話した。
母は、その怪の仕業ではないかと疑った。
何時も家の前を通り過ぎている、
衲衣を着用した僧侶
[=禅僧]がいるので、田氏の家では、その僧を引き留めて供養をお願いした。
そこで、僧は仏堂宇に入ろうとしたのだが、
たちまちにして、そのモノに中に入ることを阻まれた。
ある日、娘は母に従い外出したので、僧は、仏堂に入り、門を手で開くことができた。
そこには一羽の鳩がいたが、佛僧の前に飛び出し去っていった。
その晩から、娘は二度とその怪を見ることはなかった。
そして、その根を視たところ、立ちどころに朽ちてしまい虫がでてきた。
くだんの娘は、7カ月たって出産したが、節が3つあるモノが生まれた。
その形は仏像の前にある根とそっくりだった。
と言うことで、田氏は火をつけて焚してしまった。結果、怪の出現は絶えた。


成式常見道者論枸杞,茯苓,人參,術形有異,服之獲上壽。
或不葷血,不色欲遇之,必能降真為地仙矣。
田氏五分,見怪而去,宜乎。

成式は、道士の論説をみているが、それによると、
枸杞、茯苓、人參、術には異形があり、
それを服用すると100歳以上の寿命を獲得できる、と。
或いは、こういうことも。
(王維だと、"仏を奉じ、常に疏食に居り"がつくが)
"なまぐさものくらわず[不茹葷血]"、
色欲を否定し、このモノに遇うなら、
必ずしや、天から真神を降臨させることが可能となり、
地仙になれる。
田氏のばあい、まあ、五分といったところか。
怪を見て、立ち去ったのだから。
それはそれでよかろう。


どう読んだとことで、実態的には、怪奇話というほどのものではない。

成熟社会における、富豪に近い、非貴族の生活の一断面が描かれているだけのこと。
要するに、年頃の娘が、好きになった若い男を自分の家にある仏堂にかこって、妊娠してしまったが、家の状況を考えると、結婚相手としては不都合だったので両親が認めなかったというだけの話。
おそらく、娘が外出している時に男に手切れ金を渡し、黙ってどこかに行くように話をつけたのであろう。争い事がおきないように、鳩派的交渉というか、僧侶が男を説得した訳である。
堕胎も行われていたことがわかる。

ただ、この話には、漢方の名前がでてくるので、それが一大特徴となっている。
成式先生、漢方薬については、いかにも一家言ありそう。[→「道教本草」]
もしかすると、それは現代でも通用する話かも。そう思うのは、甘草、茯苓、人参、白朮が健康力こと"気"を高める効果ありで、枸杞子や地黄、等が抗炎症作用に用いられる、と耳にしたことがあるから。つまり、成式先生ご指摘の代表的な生薬は唐代から余り変わっていないことになる。
それに、今でも、異様な形状の人参はとんでもない高額で取引されるとか。
そもそも、漢方では、全く同じ種の植物であっても、野生は赤芍と呼ばれ、栽培品を白芍と名付けたりする。しかし、それは故なきことではない。根の色が明らかに違うのだから。(漢方の場合、含有有効成分とその生理学的作用機序が解明された"医薬"ではないから、"外見が違えば、効果の差は必ずある筈"という理屈が成り立つのである。)

ともあれ、道教的とは、喰うことでそのモノが持っている力を頂くことができるという思想を意味しよう。古代の敵武人を食う習慣の基底に流れる精神を大切にしているとも言えよう。
鋭い観察眼の持ち主である成式先生は、その思考が生薬評価にモロに出ていることに気付いたようである。植物の根には、動物のような感覚器官は全く見つからないが、明らかに土中の状況を知覚しており、的確な判断を下して成長していく。その能力たるや垂涎モノとされておかしくない訳で。

(参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載.

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