表紙 目次 | ■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.12 ■■■ 金剛経のご利益話[僧譚]僧に関する霊験話3つを取り上げておこう。先ずは、再録。[→「虎の体質」]猫族ならありえそうな話であり、説明の要なし。[→ (C) Sputnik:「元餌のヤギと仲良くなったトラ、友情は深まる一方」2015年11月28日(Video)] [第13譚] 沙彌道蔭持念 《金剛經》 襲撃回避→「虎の体質」 石首縣有沙彌道蔭,常持念《金剛經》。 寶歴初,因他出夜歸,中路忽遇虎吼擲而前。 沙彌知不免,乃閉目而坐,但默念經,心期救護。 虎遂伏草守之。 及曙,村人來往,虎乃去。 視其蹲處,涎流於地。 湖北の石首という地域での話。 まだ具足戒を受けてはいないが、出家したての少年がいた。 その沙彌の名前は"道蔭"。 肌身離さず「金剛経」を持っていた。 寶歴年間[825-826年]のことである。 よんどころない用事があり外出。 帰りが遅くなり、ついに夜になってしまった。 その途中、突然、虎に遭遇したのである。 虎は吼え、目の前まで跳びかかって来た。 沙彌は、これは逃れるすべなしと観念。 目を閉じて座りこんだ。 そして、ただただ経を黙って念じた。 心の中では、救護を期待して。 すると、虎は草の上に伏せ、じっと沙彌を見守った。 やがて、夜が明けると、 村人達の往来が始まった。 そこで、虎は去って行ったのである。 虎がうずくまっていた場所をみると、 土の上に涎が流れていた。 次は、疾病回避話。 [第11譚] 僧會宗發願念 《金剛經》 疾病回避 長慶初,荊州公安僧會宗,姓蔡,常中蠱,得病骨立,乃發願念《金剛經》以待盡。至五十遍,晝夢有人令開口,喉中引出發十余莖。夜又夢吐大螾,長一肘余,因此遂愈。荊山僧行堅見其事。 長慶初[821年]のこと。 荊州公安の僧、會宗は姓を蔡と言った。 常に蠱にやられ続けてしまい、発病し骨皮状態になり、一念発願して《金剛經》を念じ続けて、逝くのをじっと待つことに。 五十遍読誦したところで、真昼間だったが、夢をみてしまい、何者かに口を開くように命じられた。そして、喉の中から髪の毛が10本余りでできている茎を引き出したのである。 夜になって、又、夢を見て、大きなみみず[蚓]を吐いた。その長さは1肘余り。 すると、遂に、治癒したのである。 荊山の僧、行堅がその事を見たそうな。 修行僧の疾病罹患はよくあること。偏った食で栄養不足のまま、長期間無理な修行を続ければ身体がおかしくなって当然。場合によっては、食欲が失せてしまい、当人もこれはもうお陀仏近しと思うことがあると聞く。精神的にも変調をきたし、意識混濁状態となったりする。ところが、突然、嘔吐し、意識がはっきり戻ったりすることがあるらしい。吐瀉物は血痰ではないかと思うが。稀に、それを切欠として、食欲が沸いてきて、回復の道を歩み始めたりするという。 残りの1つは浄土に往った話。 [第8譚] 僧惟恭念 《金剛經》 浄土話 荊州法性寺僧惟恭,三十余年念《金剛經》,日五十遍。不拘僧儀,好酒,多是非,為衆僧所惡。後遇疾且死。同寺有僧靈巋,其跡類惟恭,為一寺二害。因他故出,去寺一裏,逢五六人,年少甚都,衣服鮮潔,各執樂器如龜茲部,問靈巋:“惟恭上人何在?”靈巋即語其處,疑其寺中有供也。及晩回入寺,聞鐘聲,惟恭已死,因説向來所見。其日合寺聞絲竹聲,竟無樂人入寺。當時名僧雲:“惟恭蓋承經之力,生不動國,亦以其跡勉靈巋也。”靈巋感悟,折節緇門。 荊州にある法性寺の僧、惟恭は三十余年に渡り《金剛經》を念じてきた。毎日、五十遍の読経を欠かさず。 しかし、僧としての儀礼に拘泥せず、酒を好み、他人の非に多言のクチだったこともあり、衆僧からは悪僧とみなされていた。 その後のこと。 偶々、疾病を患い瀕死の状況にあった。 同じ寺に、靈巋という僧も居て、その行跡は惟恭と類似そのもの。そのため、"一寺二害"とされていた。 あるとき、所用で外出し、寺から1里も行ったところで5〜6人に出くわした。年少で很美、衣服は鮮やかで清潔、それぞれが楽器を執っており龜茲部の楽人のようだった。 そして、靈巋は尋ねられたのである。 「惟恭上人は何処にいらっしゃいますか?」と。 靈巋は即座に、その場所を答えたのだが、その寺で供養があるのか疑いを持った。 その晩に及び、靈巋は寺に入ったのだが、鐘の音が聞こえてきて、見ると惟恭はすでに死んでいた。 そんなことで、先に見たことの次第を話して聞かせた。 その日は、寺内どこでも、絲竹の音色が聞こえていた。しかし、樂人は寺の境から、一人たりとても入っていなかったのである。 その当時の名僧が言うことには、 「惟恭は、蓋し、お経のお力で、不動国に産まれたのだ。 又、その行跡で靈巋にさらに勉めるよう伝えたのである。」と。 これを聞いて、靈巋は感極まり、悟ったのである。今迄の節を折り、仏門(黒衣着用の家)に精進するようになったという。 タテマエだけ立派なことを言う僧だらけの環境で、唯一仲良かった、酒飲み仲間の僧に先立たれてしまい、すっかり気落ち。ところが、指導層の指摘で、その菩提を弔うことに残りの一生を捧げる決意をしたという話では。 (参考邦訳) 段成式[今村与志雄 訳]:「酉陽雑俎」東洋文庫/平凡社 1980・・・訳と註のみで、原漢文は非掲載. 「酉陽雑俎」の面白さの目次へ>>> トップ頁へ>>> (C) 2018 RandDManagement.com |