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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.22 ■■■

唐詩人[張]

[782-852年]は、山水の景色に焦点をあてている詩人に映るが、それを好む作風というより、名山古寺題詠の詩人としての活躍の結果と見た方がよいと思う。
[「全唐詩」卷五百一十/五百一十一]
小生は、以下の2首を引用したが[→「唐詩人史」、日本で紹介されることが多いのは、「雨霖鈴」、「胡渭州」、「集霊台」。
   「横吹曲辞 入關」
 都城連百二,雄險北回環。地勢遥尊岳,河流側讓關。
 秦皇曾虎視,漢祖亦龍顔。何事梟凶輩,干戈自不閑。

   「題惠山寺」
 舊宅人何在,空門客自過。泉聲到池盡,山色上楼多。
 小洞生斜竹,重階夾細莎。殷勤望城市,云水暮鍾和。


惠山寺だが、大陸のお寺であり、イメージが湧く人は少ないかも。(西域の僧が423年に創建し、その名がついたと言われる江南の古刹。唐代は様々な禅院を擁し、大勢の僧侶を抱え、高僧続出。墨客往来止まずの地である。)
嵩山少林寺なら、禅宗の開祖達摩のお寺とすぐにわかるが、禅宗系譜の知識がないと、寺名で詠んだ張の詩を理解するのはむずかしい。例えば、双峯山東山寺とは道信や弘忍のお寺である。・・・
   「東山寺」
 寒色蒼蒼老柏風,石苔清滑露光融。
 半夜四山鐘磬盡,水精宮殿月玲瓏。


現代人は、どうしても風光明媚な地に建つ観光施設的なイメージが被さってしまうが、詩にはその地で苦闘した先人への想いがあり、ソコが共感を呼ぶのである。
ただ、それはママで書いてないのが普通。従って、我々にとっては注記がないと鑑賞は難しい。
例えば、謝靈運が涅槃経翻訳に精力を傾けた時代は過ぎ去ってしまったとの感慨がなければ、言葉面だけ追ってもたいした意味はなかろう。
   「毀浮圖年逢東林寺舊」
 可惜東林寺,空門失所依。翻經謝靈運,畫壁陸探微。
 隙地泉聲在,荒途馬跡稀。殷勤話僧輩,未敢保儒衣。


題詠詩には、次のようなタイトルが並ぶ。残念ながら、浅学な小生は故事を知らぬ。
   「題僧壁」
 出門無一事,忽忽到天涯。客地多逢酒,僧房卻厭花
 棋因王粲覆,鼓是禰衡。自喜疏成品,生前不怨嗟。

   「題松汀驛」
 山色遠含空,蒼茫澤國東。海明先見日,江白迥聞風。
 鳥道高原去,人煙小徑通。那知舊遺逸,不在五湖中。

   「題徑山大覺禪師影堂」 「題道光上人山院」
   「題靈徹上人舊房」
   「題蘇小小墓」 「題真娘墓」
   「題杭州孤山寺」 「題潤州金山寺」 「潤州甘露寺」
   「題濠州鐘離寺」 「題蘇州靈岩寺」 「題蘇州楞伽寺」
   「題蘇州思益寺」 「題重居寺」 「題善權寺」
   「題南陵隱靜寺」 「題丘山寺」 「題惠山寺」
   「題虎丘寺」 「題普賢寺」 「題虎丘東寺」
   「題虎丘西寺」 「題招隱寺」
   「題上饒亭」 「題樟亭」 「題丹陽永泰寺練湖亭」
   「題臨平驛亭」
   「題海鹽南館」 「題弋陽館」
   「題金陵渡」


ただ、段成式がお付き合いした詩人だから、宗教ドグマに凝り固まった人では無い点に注意を払う必要があろう。
   「縱游淮南」 @837年
 十里長街市井連,月明橋上看神仙。
 人生只合揚州死,禅智山光好墓田。

夜の帳が下りそうになると、橋には様々な遊女が現れるような大都会で生活することの嬉しさあってこその人生。だからこそ、禅の世界で遊ぶことができるのである。
儒教的な個人精神統制型社会と化してしまった北の都会を徹底して嫌っていたことがよくわかる。食べ物は美味しく、風光明媚な土地柄である淮南の風土をこよなく愛した詩人だったということ。勿論、"禅智寺名声益振"(大運河工事で有名な隋煬帝の故宮。)

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