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2000.3.18
 
 


才能ある人を活用したい国はどこか…

 90年代のシンガポールと台湾の発展の原動力は、米国リターン組の優秀な研究者・技術者だと言われる。米国のハイテク企業とのパイプもあり、その動きも機敏だ。一見、米国経済伸張に役に立っているように見えるが、長期的には米国が一番恐れている事態が起きつつあるといえよう。

 米国は、日本とは違い、国籍がどこだろうが、米国経済発展に寄与してくれるなら大歓迎である。研究開発費でさえ、海外機関であっても、米国に寄与する目的なら支援してもらえる可能性がある位だ。極めて実践的で、オープンな方針である。
 実際、米国の大学には海外からの留学生が多いし、外国籍の教師で溢れている。昔の超大国の時代なら、「米国の文化を知ってもらう」目的だったかもしれないが、今は、優秀な教師を揃えることで優秀な学生を集め、米国経済発展に貢献できる人材を輩出できるよう、海外からの留学生にも積極的に門戸を開いているといえよう。大学から産業界に優秀な人材が送りだされることで、米国産業の競争力を強化し、経済を成長させようとの目論見である。90年代の発展は、この教育施策が成功したともいえる。

 日本の教育システムの観点から見ていると、この施策のインパクトがわかりにくい。
 例えば、米国では、1995年の外国籍の博士号取得者は、数学とコンピュータ関連で31.8%、工学系が33%と極めて高率である。しかも、この数字は年々上昇基調で来た。(NSF, Sci. & Eng. - 1998)世界の頭脳を米国に集めたと見てもよい位だ。コンピュータ関連の博士の数自体、日本ではもともと微々たるものだ。この分野で、米国から画期的なことが産まれるのは当然と言えば当然なのである。
 今までは、このやり方が奏効していた。但し、唯一の例外は日本人と言われていた。日本人だけは留学しても、ほとんどが帰国してしまうからだ。しかし、他の国々からの留学生は在留することが多く、とりたてて云々する人もいなかった。
 ところが、日本以外のアジアの国からの留学生に、帰国希望者が増え始めたのである。油の乗った中堅が台湾、香港、シンガポール、韓国といった母国へ帰還をはじめた。因みに、1980年に理工学系の博士号を持つ台湾人で5割、韓国人で4割の人が米国に残るつもりだったのが、1995年には、彼らも日本と同じように帰国希望が増加し、残留希望者は日本人と同じ24〜28%に減ったのである。(出典同じ)

 これは、米国にとっては、長期的に見て死活問題といえよう。下手をすると、海外に高付加価値労働を奪われかねないからだ。人的な知的資源で国の勃興が決まる時代になると、優秀な人を留めておけるかどうかが、最重要課題になってくる。

 こうした動きが活発なのがシンガポールだ。ここでは、ノレッジ牽引型の産業育成のために、インフラ整備に余念がない。有望な産業をバランスよく揃えて相互関与の体制を作るとともに、グローバルな経済に直結する体制を敷くことで本社機構の誘致にも熱心だ。産業のリーダーが効率良く業務を遂行できる都市を構築している訳だ。イノベーション志向であることを明確にして、地元での教育に力を入れると同時に、海外から優秀な人を招聘することにも極めて熱心である。
 「グローバルな活動をするならシンガポールだ」という名声を轟かすことで、最優秀の人達を呼び寄せる工夫をしている。研究開発機関を結ぶインターネット幹線も整備されており、ブロードバンド化が進んでいるから、実際、快適に仕事を進めることが可能になっている。

 こうした動きと比較すると、日本の姿勢はかなり異なることがわかる。優秀な人を日本に惹きつける仕組みをつくり、良い人材が次々と結集してくることをバネにしてイノベーションに挑戦しようという施策を展開しているとは、とても思えないからだ。
 世界を驚かした青色LEDの発明者も、日本を離れて米国の大学に行く。TVでの発言では、日本の大学からのさそいは一切なかったという。


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