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2000.3.18 |
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創造性重視教育の本質…「今後の教育」を議論する場を設定すべく、「創造性重視」派の教育者との話し合いをが持たれた話を聞いた。残念なことに、予備会合だけで、計画はご破算になったそうだ。参加した企業研究者が立腹したからである。---「無駄な議論に時間を割くのはやめよう。」との発言がでたという。教育者の主張は「一人一人の個性を伸ばし、自発性を生かすことで、創造性を向上させよう。」というもの。細かな事情はさておき、どうして、一線クラスの研究リーダーと教育者のウマが合わないかと誰もが思うだろう。しかし、話しをきくと、実にもっともなことなのだ。 沢山のエンジニアを部下に抱える研究者は、常日頃から「是非とも創造性向上教育を」と考えており、会談に期待していた。 ところが、教育者の「個性重視、自発性尊重」コンセプトは、研究者の予想を越えたものだった。 どういうことかわかるように、デフォルメした極端な仮説でご説明しよう。 例えば、コンピュータ教育プログラムを作るとしよう。 教育者の提案は極めて分かりやすい。---「クリック」というような特殊な言葉を無理に覚えさせるのをやめよう。学生がコンピュータを好きになれるよう、楽しみながら学べるプロセスを工夫すべきだ。---難しい言葉や、訳のわからぬ数式を最初から導入するから、学生は興味を失うと見ている訳だ。ここを突破しない限り、自発性や創造性の発揮には繋がらないという論理だ。 産業界で生きるものにとっては、こうした用語の理解は前提であって、楽しいかどうかはどうでも良い。産業界の常識的発想から見れば、言葉遊びで嬉しがる学生を輩出してもらう必要は無い。求めているのは、「役に立つ」創造的アウトプットが出せる学生である。必要最低限の知識習得に、どうして「個性、自発性」が登場するのか皆目分からないのだ。 両者の溝は深い。 90年代を通じ、「創造性重視」教育の動きを耳にしていたからこそ、研究リーダー達は、創造性教育促進に力を貸そうと思った。そして、実態を知って驚いたのである。「創造性重視」教育が、実は「創造性」の土台を破壊しているのだ。しかも、この動きを、自信を持って進めている。---「気付くのが遅すぎた。」が研究者の言葉である。 教育の危機の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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