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2000.6.30
 
 


学校でコンピュータ教育が始まる…

 学習指導要領に情報関連の教育が採り入れられるということで、産業界には歓迎の雰囲気がある。しかし、実態を知ると、そのような気分にはなれない。(http://www.monbu.go.jp/news/00000317/t-gijutu2.html)

 具体的に記載されている内容は以下の6項目だ。
 ・情報手段の特徴や生活とコンピュータとのかかわりと、情報化が社会や生活に及ぼす影響を知り、情報モラルの必要性について考える。
 ・コンピュータの基本的な構成と機能、ソフトウェアの機能を知り、操作ができる。
 ・コンピュータの利用形態を知り、ソフトウェアを用いて基本的な情報処理ができる。
 ・情報通信ネットワークについては情報の伝達方法の特徴と利用方法を知り、情報の収集、判断、処理、発信ができる。
 ・コンピュータを利用したマルチメディアの活用について、特徴と利用方法を知り、ソフトウェアを選択し表現や発信ができる。
 ・プログラムと計測・制御についての機能を知り、簡単なプログラムが作成でき、簡単な計測・制御ができる。

 ちょっと一覧すると、「ようやく時代に対応した教育が始まった」と単純に見てしまう。確かに始まるのだが、この教育は「技術・家庭」で行われる。

 「技術・家庭」といえば、木工作業、エンジン分解、ミシンの使い方を教えていた学科ではないか。ここでとりあげるのだから、上記のカリキュラムは「新しい機械の動かし方」習得になるのは間違いあるまい。プログラム作成では、BASICでカレンダー表示ソフトを作る作業でも行うことになるのだろう。

 「技術・家庭」の授業では、「情報通信技術を利用して如何に社会生活の向上が図れるか」という問題意識は生まれまい。おそらく、新しい応用を考えることはできないだろう。その一方で、新しい文化の悪影響には注意を払うべし、というモラル教育は進む。これで、率先して、ネットワークやコンピュータを使おうというモチベーションが産まれるだろうか。下手に進めれば、逆の可能性さえある。

 今、重要なのは、授業でコンピュータを利用していくことではないだろうか。どの教科でも、利用場面はいくらでもある筈だ。現場で、これができないことが問題ではないのか。コンピュータを使える教員が余りに少ないから、「技術・家庭」の教員に押し付けているとしか思えない。コンピュータは特殊なものではない。誰もが簡単に使える時代がすぐ先に来ている。…学校の現場は、こうした時代感覚とは相当違うようだ。
 「コンピュータは知恵を生み出す道具になる」と実感させることが、最善の教育と思うのだが、今の進め方は正反対に見える。


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