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2000.8.26
 
 


「ゆとり教育」の目的…

 ようやく、「ゆとり教育」に関する素直な意見が登場してきた。

 大森不二雄著「『ゆとり教育』亡国論」(PHP研究所、2000年)である。「ゆとり教育」の欠陥は、勉強の価値を認めない風潮を助長させることだ、と言いきった主張には説得性がある。

 今までも、「学歴、試験を否定的にとらえることが、どうして、個性尊重や創造性向上に繋がるのか?」と疑問を呈する人は少なくなかった。しかし、そうした発言はタブーだった。「守旧派」として、排除されかねなかったからだ。

 「学歴無用論」など典型といえよう。なかには、「大学教育は無駄」と読める主張さえある。「質の高い教育を受けた人材は不用なの?」と聞いてみたくなる程、雑な論理のものがまかり通っている。しかし、反論はしにくい。

 教育論議では、このような、一時の感情におもねった、不明瞭な論理の主張が多すぎる。
 理想論やドグマはやめ、是非とも、現実論で議論して欲しい。

 少なくとも、「ゆとり教育」で学力向上が図れる根拠があるとは思えない。
 にも係わらずこの施策を進めるのであるから、「教育」の目的は学力向上では無いといえよう。ということは、「学校を勉強の場にしない」方針ではないのか。

 これでは、生徒が益々勉強しなくなるのは必然だ。学校に来る目的も喪失してしまうのではないだろうか。


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