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2002.7.2 |
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階層固定化による意欲減退…技術者の会話に、社会学の立場から教育を研究している刈谷剛彦教授(東京大学・教育社会学)の実証研究結果が引用されることが多い。この研究は、1979年と1997年に高校2年生を対象として行った、出身階層と勉学姿勢の調査に基づくものだ。社会的視点が濃厚なため、産業界の関心をひくのである。(2000年11月講演録:http://www.edu-kana.com/kenkyu/nezasu/no27/sinpo3.html)但し、専門家なので、推論や仮説を述べてくれない。しかし、以下のような解釈はできそうだ。 ● この20年間で、「下位」階層ほど、自ら進んで学習しない態度に変わった。この層は、落第ほどひどくならなければよい、と考えている。最低限の学習で済ましたい訳で、基本的に勉学意欲は無い。しかし、無力感から学習を避けているのではない。それなりに、自分の力が発揮できていると考えている。裏返せば、たいして勉強しなくても生活可能な現状に、十分満足している訳だ。 ● 「上位」階層も学習への意欲は相当落ちている。自らの階層に対応する、それぞれの実現レベルがあるようで、そのレベルが保証されれば十分、と考えている。従って、それ以上勉強するつもりは無い。というより、学習時間はできる限り圧縮したいのだ。 この研究結果から、成熟化し階層が固定化してしまった、発展性なき社会絵図が見えてくる。「そこそこ」の努力をすることで地位が保証され、「まあまあ」の生活が実現可能な社会だ。階層上昇の欲望さえ抑えれば、自力で、今の階層内の「ゆとり」を謳歌できる。挑戦や自己研鑚の価値は極めて低い。無理して勉強しても、見返りを考えると、ペイしない。 「上位」だろうが、「下位」だろうが、社会で適当なポジションを取れるなら、それで十分満足、という風潮が定着化した。挑戦よりは、現状維持を望む社会になった。 こうした変化に気付いていた人も多いが、実際に、データで明白に示されると衝撃的である。 これは、高校2年生の風潮だ。しかし、じっくり考えればわかるが、親の意識そのものとも言える。 停滞している企業の研究所では、まさに、この体質そのものだ。魅力的な案件があっても提案を避けたがる。できる限り無難な企画に徹する。その一方、早期優遇退職の損得勘定や退職後の身の振り方だけは綿密に検討する。といって、仕事で手を抜いているのではない。「そこそこ」の努力は怠らない。一見すると、意欲があるようにも見えるが、本質は現階層を守る最低限の努力なのである。仕事に対する思い入れは、急速に薄れている。 教育の危機の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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