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2004.2.10
 
 


デザイン専門学校生の失望感…

 デザイン専門学校生のアンケート調査(日本デザイン専門学校「色彩感・デザイン感意識調査」)によれば、時代のイメージ色は黒、今の日本は灰色との結果が出たそうである。
  (http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=040207061719X501&genre=soc)

 デザイナー志望の学生がこれほどまでに、暗い印象を持っていたとは思わなかった。

 と言うのは、傍目から見れば、恵まれた生活を送っているように映るからだ。
 誰にもはばかれず、自己主張できる。アルバイトは大変でも、とりあえず明日の糧にこまることはない。と言うより、学生にもかかわらず、繁華街で仲間と酒を酌み交わす程度の余裕はある。

 これが暗い生活とは思えまい。

 日本の社会には、売上減少一途で、今後の利益も危ぶまれる店で働いている人も大勢いる。そのような人なら、暗くもなろう。
 しかし、デザイン専門学校に通う道を選択したということは、自らの力で将来を切り拓こうと考えた人達だろう。本来なら、日本のデザインを一変させる位の気概を持つ集団であってもおかしくない筈だ。

 ということは、そのようなチャンスを与えてくれる社会の内実は明るいものでないことを悟っているとしか思えない。

 おそらく、デザイナーの将来自体が暗いのである。
 デザイナー分野が成熟してきたと見てよいだろう。クリエーティブさがウリの筈の若者が、活力を失なわないことを祈るしかない。

 このように語ると、産業界では驚く人がいる。成熟していると思っていないのである。
 古いタイプのオピニオンリーダーが、未だに、日本はデザイン力が弱いから強化すべきだ、と語り続けているからだ。このため、誤解が広がっている。

 この分野は、十分過ぎるほど、増強され続けてきたのである。
 その結果、はっきり言えば、デザイナー氾濫状態に陥っている。
 デザイン学校はあちこちで見かける。おそらく、数では世界一だろう。この観点では、世界に冠たるデザイン王国なのだ。

 このお蔭で消費財は、毎日のように様々なデザインの製品が登場する。低コストで高品質な「デザイン」が続々と提供できる体制ができあがったのだ。

 ここだけ見ていれば、競争力ある仕組みができあがったようにみえるが、砂上の楼閣である可能性もある。
 教育内容が、創造性育成型カリキュラムに見えないのだ。

 といっても、これは教育機関側の問題というより、産業界の姿勢の問題なのである。

 産業側が、特定の部署以外、デザイン専門学校に興味を持たないから、こうなるのだ。
 デザインは専門職にまかせておけばよい、という態度だから、教育も変えようがないのである。
 エンジニアでいえば、電気屋が、メカ屋の話しを全く聞こうとしないようなものだ。
 このようなことが続けば、どうなるのかは、皆知っている筈だが、デザインだけは別、と考えている。
 この悪習がなくならない限り、デザイナー育成プロセスは変わらない。

 この説明ではなんのことかわからないだろう。
 学生が何をしているかを語れば、この問題の本質を、すぐに理解できると思う。

 学生は、産業界からお金を貰うための武器を学びたい。そのため学校に入ったのである。
 それでは、彼等は学校で何を磨いているのか。・・・スタイル画技術なのだ。
 美しい画のプリゼンテーションで目を引くことに必死なのである。

 誰でもわかると思うが、これはデザインの魅力を磨く行為ではない。しかし、そうならざるを得ないのが現実なのである。
 産業界が、スタイル画が美しいか否かで、デザイナーの力量を測るからだ。
 と言うより、デザイン能力をどう測っていいのかわからないから、スタイル画を綺麗に描ける人をデザイン能力が優れていると判定するだけ、と言うべきだろう。
 実際、個性ある画風や、自己主張の強い人は、なかなか職を得られない。ところが、綺麗に描ければ職にありつける。
 これが、この業界の常識なのである。

 日本の産業界は、クリエーテエィブで勝負すべき人達がこんな状態になっても、そしらぬ顔を続けている。
 これが、知財立国を標榜する国の、現実の姿だ。

 この構図は、工学部の教育改革とよく似ている。創造性を高める方向に進まない原因の一つは、大学内の問題だが、いくら大学が頑張ったところで、産業界に創造的な人材を判定する力がなければ、掛け声だけで終わる。

 掛け声だけで、創造性を期待していない実社会を知ってしまったデザイナーの卵達が、「日本社会のイメージ色は灰色」と語るのは当然だろう。


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