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2004.2.17 |
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教育の産業化…2004年2月、ついに「株式会社立」大学・大学院(東京リーガルマインド、デジタルハリウッド)設置の答申が出た。これで4月から、教育産業が立ちあがることになる。(1)国家試験合格、事業に繋がる人材の育成、といった実利的な課題を担う学校ができる。 そもそも、このようなニーズがあるのがわかっているにもかかわらず、官僚の顔色を伺うだけで、大学側が全く応えてこなかったことに問題がある。 学生にとっては、大学に籍をおいて、国家試験のための予備校通いをするといった、いびつな状態だった。 今回の開校は、これを解消する、ほんの小さな試みすぎない。 たったこれだけのことで、規制緩和の大きな一歩だと評価する人がいるのだから驚く。 実際、教育分野では、このような論理を受け入れる人は多数派ではないらしい。教育の企業化などもってのほか、との強固な思想があるという。 英国でも、教育問題での対立は激しい。 2004年1月27日、Blair政権は学費値上げ法案を通すことにかろうじて成功した。ほんの小差(316対311)だった。(2) 背景には、政争もあるようだが、高等教育に関する考え方の溝は深く、簡単には埋まらないのだ。 The Economistは、論説「Pay or decay」(2004年1月22日)で、リアリズムの視点からこの問題を取り上げた。ビジネスを考える人達が、教育をどう見ているかを示す上では、一番バランスがとれた意見だと思う。 非効率な欧州型教育の是正は不可避という主張だ。 言うまでも無く、大学運営には米国型と欧州型の2つのモデルがある。 前者は市場競争の下、学費・献金・投資で運営されるのに対し、後者では税金を投入し官僚統制的な運営が行われる。 今、後者の意味が問われている訳だ。 誰が考えても、政府が教育機関の経営を行って、社会に貢献する人材を育て上げることができる時代は終わった。 にもかかわらず、税金を使って、学生にも企業にも不評の教育を続けているのが、欧州型教育の本質である。 英国でも優秀な学生は、高い学費を払っても、米国の大学への留学を目指すようになってきた。欧州型「国営」大学の凋落は明白なのだ。 もちろん、米国型にも問題はあるのだが、欧州型よりはましなのは間違いなかろう。 と言うより、実は、米国型とは、教育重視社会を意味する。 一方、どう見ても、欧州型は教育軽視なのだ。 このどちらを採用するかということに他ならない。 欧州型の特徴とは、限られた資金のなかで、教育を行うことにある。一生懸命教育する姿は美しいかもしれないが、質が高い教育の条件を整えるのは至難の技である。 本当に質の高い教育を追求したいなら、資源を集めてくるのが筋だろう。米国型は、これに近い。 欧州型では、お上から頂くお金と、指定されたガイドラインのなかで、ただただ最善を尽くすしかない。これで、ベストの教育ができる筈がない。 それでもかまわないのか?・・・答えるまでもなかろう。
なかでも特徴的なのが、日本の数字だ。一人当りGDPが大きければ教育費は増えそうに思うが、そうなっていない。(4) この数字を見ると、欧州型とは、教育費をGDPの1%に抑えることを意味しているようだ。 そのなかで、公と私の比率が国の事情で多少変わっているだけに過ぎない。独/仏は公がほとんどで、英が7割、日本は半分といったところだ。 ところが、米国型(米、カナダ、韓国)になると、額そのものが、GDPの2.7%程度に急増する。米国では、官だけでも1%ある。これに私の1.8%が上乗せになる。 早い話、欧州型の顛末は、安かろう、悪かろう、になりかねない。 --- 参照 --- (1) http://www.mainichi.co.jp/eye/sanmen/art/040212E052_4110001410EB.html (2) http://politics.guardian.co.uk/publicservices/story/0,11032,1132544,00.html (3) http://www.oecd.org/dataoecd/0/16/14483656.xls (4) 「Who pays to study?」The Economist 2004年1月22日 教育の危機の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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