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2004.5.20 |
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教育経済学の前に…ノーベル経済学賞を受賞したBecker教授がビジネス・ウィークに連載したエッセイ集「The Economics of Life」の邦訳が発刊されたのが、1998年のことである。(1)邦訳の副題の冒頭に「教育」が入ったから、これで教育経済学(2)が盛んになるかと思いきや、そうはならなかった。教育の話題は理念ばかりで、情緒的な主張が多く、冷静に分析する動きは抑制されてしまったのである。 なかには、教育政策転換の主張もあったが、教育のパフォーマンス分析を避ける点からみれば、情緒的な反撥とたいして変わらないものが多かった。 そのころ出版された教育経済学に関する本は、Amazon.com で見る限り、極く僅かしかない。教育を経済的視点で見るなどもってのほか、というムードだったのだろう。(3) この状況が、最近、変わってきたようだ。(4)続々と本が登場してきた。 とはいえ、読者のコメントは、この流れを止めかねないものが見うけられる。実証分析になっていない、との不満が記載されているからだ。もともと利用できそうなデータが少ないから、その通りだが、折角始まった冷静な分析も、一時的な流行りで終わりかねない。 これを避けるためには、論点をはっきりさせる必要がありそうだ。 先ずは、教育における平等の見方を明確化するとよいのではないだろうか。 例えば、小塩隆士氏は、教育の目標は、特に勉学に興味を持っている訳でもない平凡な生徒の学力の引き上げ、と考えている。 しかし、これは皆が納得している見方とはいえまい。落ちこぼれを防ぐ教育を叫ぶ教育者も多いからだ。一部を蹴落とすことになる教育は平等とは程遠いと考えるのだろう。 こうした見方を支持する人も多いため、レベルを下げて落ちこぼれを目立たなくさせよう、との主張が跋扈することになる。論理が飛躍しているのだが、そう感じない人も多いようだ。 一方、ゆとり教育で、勉学の十分な機会を平等に与えようという主張も多い。学校教育の時間をを減らせば、学問に興味を持つ生徒が増えるという勝手な理屈で、強引な主張を展開するのである。勉強したくない層に教育時間を減らして喜ばしたいのか、学力向上に励む層の無駄な教育時間を減らしたいのか、よくわからない主張であるが、大多数を占める平凡な層の学力引き上げ努力を放棄する方針であることは間違いない。 その一方で、公教育のレベル低下に呆れる人達のなかには、旧制教育の良さを復活させる動きもある。全体の底上げに動く様子は無いのなら、エリートを作るしかあるまい、という現実主義といえよう。(小塩隆士氏は、こうした動きは格差を広げる、と見ているようだ。) 要するに、見方は千差万別なのだ。 これでは、議論も進むまい。問題を整理することから始めないと、議論が空回りしかねないのである。 先ず、確認すべきは、生徒がどのような状況にあるかだ。 といっても、学力データが揃っていないのだから、この点から始めたら、上手くいかない。 一番の問題として取上げるべきは、ほとんどの生徒が、一生懸命勉強すれば、自らの将来を切り拓ける、と思っていない点だと思う。つまり、勉強すればペイすると考える一部の生徒だけが、それなりの努力で勉強しているにすぎない。 この認識を一致させることから始めればよいのである。 この状態で、生徒に勉学に励むようにするための施策は限られている。 勉強すればメリットがあるような社会に変えるか、社会発展に寄与するに最低限必要な学力ハードルを設定し、ハードルを超えることを義務づけるしかないからだ。 前者がすぐに実現できそうにないなら、後者でベストな進め方を案出することになる。 当然ながら、教育の使命は、社会に貢献できる質の高い人材をできるだけ多く生み出すと定義されることになる。このため、施策によっては、格差が生じることもあろう。しかし、それは些細な問題ではなかろうか。 --- 参照 --- (1) ゲーリー・S・ベッカー/ギティ・N・ベッカー著 中村康治訳 「ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで」(東洋経済新報社 1998) (2) Geraint Johnes著「The Economics of Education」(Palgrave Macmillan 1993) (3) 八代 尚宏著「市場重視の教育改革」(日本経済新聞社 1999) 荒井 一博著「教育の経済学―大学進学行動の分析」(有斐閣 1995) (4) 伊藤隆敏・西村和雄編「教育改革の経済学」(日本経済新聞社 2003年) 小塩隆士著「教育を経済学で考える」(日本評論社 2003年) 小塩隆士著「経済学で読み解く教育問題」(東洋経済新報社 2003年) 小塩隆士著「教育の経済分析」(日本評論社 2002年) 永谷 敬三著「経済学で読み解く教育問題」(東洋経済新報社 2003) 荒井 一博著「教育の経済学・入門―公共心の教育はなぜ必要か」(勁草書房 2002) 教育の危機の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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