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2005.3.9
 
 


大学は臨床研修を止めるべきだ…

 大学卒業後医師免許取得後2年間は大学病院または臨床研修指定病院で研修に努める、というのが医者となる基本コースである。

 しかし、研修で身に着けるべきスキルが明確化されており、修了時に力が着いたか評価してもらった、との話は聞いたことがない。
 一方、単なる労働力として、診療を手伝ったとか、インターン中はアルバイトに精を出した、との話を聞くことはある。

 誰が考えても、問題だらけの状況と判断せざるを得まい。
 このため、医者をどのように育成すべきか、今後、研修をどう改革すべきか、という話は年中行事のようになっている。

 少しづつではあるが、こうした動きがあるから、積み重ねで良くなっている、と考える人が多いようだ。
 しかし、それは甘い見方ではなかろうか。

 根本問題は、不合理な仕組みにある訳ではないからだ。
 すべての根源は、大学病院が臨床医育成の役割を果たそうとしていない点にある。大学は、本来は教育研修機関の筈だが、その観点で強化しようと動いてはいない。
 研究機関の道を追求している大学もあれば、優れた医療サービス提供機関となるべく努力をしていたりする。
 (ここだけ見れば有難いことなのだが。)

 教育機関が医師育成の役割を2義的なものとする限り、どのような施策を打ち出したところで、効果は期待薄である。

 ・・・とつらつら考えてしまうのは、未だに、医学博士授与の仕組みさえ変える気がないからである。

 これほど馬鹿げた無駄な仕組みはない。
 調べたことはないから、断言できないが、合理的な思考ができる国なら、こんなことはあり得ないと思う。

 と言うのは、一番多忙で、油がのってくる時期に、臨床に無関係な論文を作成するためだけに多大な労力をかけて努力させ、医学博士号を取得させるからである。今時、稀に見る悪習だと思う。
 わざわざ、臨床能力を削ぐ教育を押し付けているに等しいからだ。

 基礎医学を目指す医師なら別だが、そもそも、臨床を担当しようと考える大部分の医者にとっては、臨床に無関係な医学博士号に、意味などない。若い医師に、実際に役に立つ臨床経験を積むより、名誉になる看板の方が重要、と指導している訳だ。

 言うまでもないが、時間をかけ、分析的に問題を煮詰め、じっくり考えて、ものの本質に迫るスキルは極めて重要である。
 工学博士や理学博士が重視されるのは、こうしたスキルが業務に役に立つからである。  しかし、患者と相対して、その場で決断を下す業務に、基礎の考え方を教え込む意味がどこにあるか、聞かせてもらいたいものである。

 と言うと、誤解を招くかもしれない。一言付け加えておこう。

 臨床医にとって、医学論文をまとめることが無駄だ、と主張している訳ではない。基礎科学は不要と言っている訳でもない。
 是非、身につけてもらいたいと思う。
 但し、論文をまとめる作業は、大学在学中の学業期間中で行うべきである。

 医師免許を取得し、いよいよ本格的に臨床スキルを磨く時になってから、わざわざ貴重な時間を論文作りに費やす仕組みを即刻止めろ、と主張しているのである。

 それでなくても多忙な時に、わざわざ臨床に全力を投入できない仕組みを取り入れる人達の無神経さが信じられないのである。

 この問題は、若手の医師自身が一番よくわかっていると思うのだが、この状況を変えようと主張する人は見かけない。
 激務の医療現場から、離れる場があることが嬉しいのかもしれないが、外から見る限り、このことが益々激務を加速させているように映る。こんな仕組みをいつまで続けるつもりなのだろう。

 換言すれば、現在の医学部指導者達は、良い臨床医を生み出すつもりなどないのである。

 臨床医研修を大学に任せるべきではない。


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