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2005.4.21
 
 


職業観教育の話…

 中学生の職業観教育の話を取り上げたら、理想論すぎる、という意見を頂いた。
  → 「中学生相手の本の意義 」 (2005年3月3日)

 ご指摘の通りだ。
 それでは教育をどうすべきか、一寸、考えてみよう。

 先ず、中学生レベルの現実をはっきりさせておこう。

 米国では、この年代になると、先のことを考え始めるのが普通だ。従って、将来の職業についてそれなりに語れるようになる。自分の意見が言えるのだ。
 一方、日本の中学生といえば、将来のことを聞いても、大半は、幼稚園児が答えるように、好きな職業名を返すだけだろう。あるいは、まだよくわからないと答える生徒が多いと思う。

 ここだけ見ると、米国人は大人だが、日本人は幼稚ということになる。そもそもが幼稚な生徒に、職業感を持てと、いくらお説教した所で、なんの効果もなかろう。

 しかし、ここで注意すべきことがある。実は、考えているのだが、他人には話さない生徒がいる。学校で目立つと、損をすることを知っているのである。皆に合わせておけば、無難だから言わない。世渡りを心得ていると言えよう。
 又、何故質問するのか探っている生徒もいる。下手に答えるより、わからないにしておこう、という訳だ。
 幼稚どころか、老獪に近い。
 もっとも、こうした生徒は少数派のようだが。

 重要なのは、こうした少数派の能力を高めることではないかと思う。
 生徒全員に職業感を持つように努力するのは、無駄が多すぎる。そんなことをする位なら、基礎学力を叩き込んだ方がよいと思う。

 実は、こうした状況は中学校だけではない。大人にも当てはまる。

 というのは、会社員でも、生活信条を持っていない人は結構多いのである。生活信条というのは、わかりにくい言葉だが、要するに、なんとなく働いているということだ。このような人に何を言っても、暖簾に腕押しである。
 このような人達に対する啓蒙教育など無駄だと思う。

 厄介なのは、企業によって、この状況が大きく違う点である。
 あるエレクトロニクス企業で仕事をしたときは驚いた。働いている人の半分近くが流れに合わせるだけの人だ。言われると動くだけである。
 一方、同業者でも、大半の人が、自分の力で事業を成功させたいと考えている企業もあった。
 千差万別なのだ。

 どうしてこれだけ大きな差が発生するか。
 理由は単純である。やる気ある人を選別する方法がわからないので、安直な評価で人を採用しているからである。

 人材評価は難しいから、とりあえず採用して後で選別すればよいとの、安易な企業が多いといえる。
 現時点で、生活信条が無くても、OJTを通じて、そのうちに自覚して変わると考えるのだろう。しかし、そんな証拠はどこにもない。
 起業家精神豊富な人材を揃えている先の会社は、OJTで育成した訳ではない。起業家精神を欠く学生はそもそも採用しないだけのことである。

 実は、こうした安易な企業が存在する限り、中学生に対する職業観教育は奏功しない。
 企業内の実務家が、職業観などなくても、社会人になればなんとかなる、と語っているようなものだからである。

 こうした企業の、リクルート担当の頭を入れ替えない限り、日本における職業観軽視の風潮は変わるとは思えない。


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