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2006.6.20
 
 


留学市場の変化…

 日本から米国への留学者数が減少しているとの話を耳にした。

 データを見せてもらった訳ではないから、真偽のほどはわからないが、話題にのぼる位だから結構深刻な数字なのかも知れない。

 ビザ取得が煩くなり、面倒ということもあるかも知れぬが、学ぶ場としての米国の人気が落ちてきた可能性もある。

 よく考えれば、当然の流れかもしれない。
 例えば、英語を身につけるだけの語学留学なら、米国以外の英語圏に行く手もあるからだ。今や、この市場での留学生獲得競争では、米国が優位とは言えそうにない。オーストラリアや地中海のマルタの魅力もあなどりがたいからである。
 理工系でも、材料系が多いようだが、米国留学は期待外れだったと語る人も少なくないらしい。
 流行っていたMBA留学も沈静化したようである。有名校なら、卒業後の国内外の人的ネットワークの価値は魅力的だから、留学生がそう減ることはないだろうだが、全体で見れば以前ほどの人気はないようだ。MBA取得者が増えたので、コース修了だけでは、投資に見合ったリターンは得られなくなってきたと言うことかもしれない。

 ・・・といった所が、極く普通の見解だろう。
 しかし、よく考えると、米国の体質が急速に変わったことも、こうした変化の背景にありそうだ。
 ブッシュ政権の動きでわかるように、米国社会は、自分達の価値観で、自分達の利益を最優先する方向に動いている。教育も例外ではない。

 つまりこういうことではないか。

 MBAコースとは、あくまでも米国市民を鍛えるためのもの。米国市民として、ビジネスで成功を収めるための実践的トレーニングコースなのである。従って、留学者は、米国市民が外国人とビジネスでお付き合いするための練習相手となることが期待されているのではなかろうか。おそらく、留学者数を増やす気はない。米国市民教育の観点で、役に立ちそうな留学者を選ぶことになろう。
 例えば、ファンドマネジャーになりたい学生が集まるスクールなら、実利的な観点でコース内容が絞り込まれるだけのこと。インターナショナルに、優秀な頭脳を集めて切磋琢磨する必要などなかろう。
 従って、キャリアプランが違うと、期待外れになりかねない。

 理工系の留学も同じことが言えそうだ。学部留学ではないから、ラボで教授の指導を受けることになる。これは見方によっては、教授の研究活動の歯車になるということでもある。才覚ある人は、そこから芽を出すだろうが、修行のつもりで留学した人にとっては疑問を感じるかもしれない。ラボに質の高い労働を提供しているだけともいえるからだ。その時間を他のことに使ったら、もっと成果が出せたのではないか、と考える人がいてもおかしくない。
 それでも、留学経験は履歴上不可欠だから致し方ないらしいが、それなら米国でなくても、と考える人がでてもおかしくない。技術分野なら、互いに議論したい「内容」さえあれば、専門家だから、言葉の壁などたいした問題ではないから、どこでもよいのである。

 これは、あくまでも日本人の見方である。

 米国の大学にしてみれば、自校のポジショニングを冷静に考え、学生を集める目的をはっきりさせているだけのこと。従って、どのような留学生を集めるかは、学校毎に違うのである。
 従って、インターナショナル化に熱心な学校もある。ケネディスクールは、外国の官僚やその卵を集め、米国流の政治手法を世界に広げようと考えているのは、昔から有名である。
 目的意識がはっきりしていると言えよう。

 こんなことを考えていると、それでは、日本での留学受け入れはどうなっているか大いに気になる。

 実のところ、これが、よくわからない。
 米国のように実利に走るでもないようだし、それぞれの大学が特徴を考えて、留学生を集めようと頑張っているのでもなさそうである。
留学生数(2003年)(2)
- 国 - 千人
573
270
241
222
オーストラリア 136
111
110
 69
カナダ  64

 とはいえ、マクロの数字だけ見れば、1983年に、当時の中曽根首相が打ち出した、留学生10万人との目標は、2003年に達したのだからたいしたものである。(1)日本も、数の上では、世界のリーダー国と言えるようにはなった。
 とはいえ、確か10万人とは、仏並みということだったのではなかろうか。その仏は、22万人だから、相変わらずの差ともいえるかもしれない。

 さらに、お隣、中国の方が多いと聞けば、がっかりする方もおられよう。

 しかし、これは当然の結果である。
 中国より、オーストラリアを見た方がわかり易い。昔は、確か、日本より留学生の数は少なかった筈である。しかし、サービス産業としての、教育産業振興に注力したのである。(3)
 間違ってはいけない。国の費用をあてにしたり、アルバイト斡旋で、留学生の数を増やした訳ではない。本気で教育を受けたい学生を募っただけのことである。質を担保し、コスト効果が高いことを示したから、留学生が集まったのだ。この国では、大学経営は留学生無しでは成り立たないのである。

 日本も、少子化で大学入学者数は減り、定員割れもあり得るのだから、同じような状況だと思うが、不退転の決意で留学生を集めている大学は例外的だろう。

 もっとも、日本の大学の魅力が今一歩なのは、社会的問題のせいもある。
 なにせ、日本の大学生の大半は遊ぶことばかりに熱心で、勉強する気などない。入学さえすれば、間違いなく卒業できるからである。大学で学んだことを生かして、将来を切り拓こうと考える学生も稀である。アジアからの留学生から見たら驚きに違いない。そんな環境で学ばされるのだから、たまったものではなかろう。

 しかも、聞くところによると、授業のレベルは千差万別。毎年同じ内容の古いお話を聞かされたりするそうだ。

 有名大学なら、そんなことはなかろう、というのも勝手な思い込みかもしれない。

 知を生み出す場というより、世間に知られた人を招聘することばかりに熱心な有名校が多い。それでも、一流の人との交流で、新しい知を生み出そうという動きなら、好循環になるからよいのだが、そんな気がしないのである。
 その人達が属するネットワークへのアクセス提供機関であることを、それとなくウリにしているからである。
 それに、もともとの先生達も、家督相続のような跡継ぎが多く、閉鎖的なネットワークを継承し続けていることが多い。
 要するに、有名大学のウリとは、コネの提供なのである。
 
 留学生は敏感である。こうした風土を、どのように感じるかは、だいたい想像がつく。
 日本の有名大学で学んでも、イノベーション創出のコツは身につかないとの印象を与えているのは間違いあるまい。

 全体で見ると、相変わらずの感じだが、こうしたムードを突破すべく動いている大学もあるらしい。
 そんな頑張る大学を選別的に支援して欲しいものである。

 --- 参照 ---
(1) http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/hito/koryu_1.html
(2) M.M.Kritz, 2006
  U.N. Report [Table 8] http://www.un.org/esa/population/hldmigration/Text/Report%20of%20the%20SG%28June%2006%29_English.pdf
(3) [日本での活動] http://www.study.australia.or.jp/english/


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