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2006.11.27
 
 


教育立国との言葉に驚かされた…

 先日のことだが、“文科省主導の場当たり的な一律行政にメスが入らない限り、教育立国は夢のまた夢”との一文で結ばれているコラム記事を読んでしまった。(1)

 経済紙だから、執筆者は現役のビジネスマンだと思うが、書きっぷりからみて、改革に着手して「夢」を追求せよという主張のようだ。

 う〜む。
 そんなことが可能な時期をとうに通りこしてしまったと思うのだが。

 そもそも、大学入試に無縁なら必須科目は出席のみでかまわないとの学校が多いのが実情。授業中に他の勉強をすることを奨励しているようなものである。すでに授業の態をなしていないと言ってよいだろう。
 生徒が、入試に役に立たない授業は無駄と見なしているのだから、極めて実践的な対応である。役に立たない授業が多いとされれば、入学者が減ることになる。現在の学校経営の実情を踏まえれば極く自然な流れだ。

 何が言いたいかはおわかりだと思う。
 未履修は、規則を守る守らないの問題ではないということ。ましてや、授業内容や授業の進め方のルールの有無という話でもない。

 大学入試をできるだけ簡単にし、高校生活に余裕をもたせようとした、当然の結果に過ぎない。受験競争が消える訳でもないのに、試験だけ簡単にするというのだから、どんな結果がもたらされるかは明らか。
 初等教育における“ゆとり”重視政策と全く同じ発想だ。こちらは、生徒の素質を活かす“本来の学び”の時間がとれる余裕を与えるために児童の授業時間を減らそうとの屁理屈施策である。
 現実を踏まえれば、どんな結果がもたらされるかは明らかだが、恣意的に現実を目る人が権力を握っているのだからどうにもならない。

 ちなみに、小生が受けた1960年代の高校教育は、ほとんど大学受験には役に立たなかった。受験勉強は自分でやるものだったのである。
 特に、スポーツをしていた生徒は大変だった。理屈からいえば、受験勉強を軽減して、時間的な“ゆとり”を与えれば、高校生活はより充実したものになると考えてしまうのも無理はない。
 一般に、狭い範囲で考えた対策は、逆効果になることが多いが、そんなことも知らない人達がリーダーなのだから致し方ない。

 ところで、この学校では、何故受験対策の教育が行われなかったか。実は、ここがポイントである。

 はっきり言えば、教師の質が高く、授業を自由に進める能力があったし、そのことが教師の誇りでもあったからに他ならない。生徒も、それに応えることができることが誇りだったから、上手くいっただけのことである。
 教科書を全く使わない授業もあったし、生徒の自主的な発表会だけの「授業」さえ行われていた。その一方、生徒には人気薄だったが、受験勉強重視型の先生も、僅かに存在していた。
 当時のことはうろ覚えだが、授業は受験にほとんど役に立たなかったと思う。図書館の本も全く無縁の世界ばかり。覚えているのは、和辻哲郎全集が入ってきて、読破した喜び位のもの。生徒にとって、大学受験はさし迫っている課題だったが、学校は、その面倒を見る場ではなかったのである。
 今思えば、高校で教え込まれたこととは、「知」の喜びと、「個」の尊重だったような気がする。生徒は一人前の大人として扱われたということである。
 これこそが「校風」ということで、先生も生徒も受け入れていた。その「校風」望む生徒が入学してきた訳だ。そんな教育にもかかわらず、有名大学の合格者数は多かった。
 間違えてはこまるが、これは私立高の話ではない。都立高だ。

 ところが、この「校風」は、その後、ことごとく壊されていく。都立高の一律化、平等化、が図られたからである。それと同時に、勉強時間を減らし、生徒に“ゆとり”を与えよとの意見がまかり通っていく。
 その結果、先生と生徒が議論する、かつての授業シーンは、この学校から消え去った。議論できる生徒が全く来なくなってしまったからである。
 先生にとって授業は面白くない仕事と化したのである。しかし、生徒にとっては、授業は、もっとも面白くないものと感じたに違いない。
 こうなってしまえば、できるだけ楽をして大学に入れるよう教えてくれることしか望まなくなって当然である。

 それでも、世界史教育はまだましな方である。

 圧巻は、なんと言っても、物理、化学、生物だ。
 大学の理工系学部に基本的知識を欠く学生が入ってくるのだから、高校がまともに教えていないことは誰の目にも明らか。大学でそんな話がとびかったのは、今から10年も前のこと。

 今更、文科省の方針を非難し、仕組みを変更したところで、たいした効果は期待できない。一旦瓦解させたものは、元には戻らない。
 教育立国など語ること自体が笑止千万。“ゆとり”重視政策を始めた時、すでに、逆向きに舵を切ったからである。

 こんな時、何から始めるべきかは、自明である。

 --- 参照 ---
(1) “履修漏れと教育立国” 日本経済新聞「大機小機(大愚子)」 [2006年11月14日]
(必修科目未履修高校数) http://topics.kyodo.co.jp/feature24/archives/mirishu1102.html
(附記) 未履修は目新しい情報ではない. 新入生の基礎学力の低下は古くから議論されていた問題.
  「大学生の学習に対する意欲等に関する調査研究」(高等教育学力調査研究会 代表者 柳井晴夫)[2003-3]


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