↑ トップ頁へ |
2007.8.20 |
|
|
脳科学本を読んで…脳科学の話は人気があるそうだ。脳活動を測定できるようになったので、興味をそそられるような実験結果が得られるようになったことがきっかけである。 様々なデータをかいつまんで紹介し、その意味を饒舌に解説してくれる人がいるから、“ほほ〜”これは面白いとなるのだろう。 しかし、“とんでもない”理屈を振りまく人も多いという。 典型は、簡単な計算をするだけで、脳が発達するというもの。計算している時は、脳が活発化しているというデータと、いい加減な例で、この結論に跳ぶのだというから驚きである。単純計算をするだけで、思考能力が高まることなど、常識ではあり得まい。 圧巻は、脳がわかれば、社会もわかるとの主張。ここまで論理が飛躍すると、なんとも言いようがない。 要するに、娯楽としての脳科学分野が生まれた、と言うことである。 そんな範疇に入りそうな本は読みたくないが、本屋には脳科学本が溢れており、まともな本は簡単には探せない状況だ。 そこで、工学部2年生向けの「脳科学」授業内容を記載したとされる本を読んでみた。 書名は『「見る」とはどういうことか』(1)である。 冒頭は「錯覚」の話。 “錯視は衝撃的で、・・・「おおーっ」とか「まじ〜!」とか声が上がっておおいに盛り上がる”のだろう。 → 「Illusion Museum」 大阪大学基礎工学部生物工学科コース2/3回生有志の「脳、錯視、知覚」ページ, 認知脳科学研究室 → 「Visual Cognition Lab 」 (C) Daniel J. Simons, Unibersity of Illinois センサー情報と、意識の間に、なにか処理がなされていることを示す例である。無意識のうちに、入ってきた情報が加工されており、その結果をまとめると意識になるということのようだ。 ロボットは「心」を持ち始めるという「受動意識仮説」(2)の通りである。 よく考えれば、錯視やロボットは、脳そのものの生理学的分析とは遠く離れた分野だが、こんな分野から脳科学の新地平が切り開かれるのではないか、という気にさせられた。 どうも、言い方を変えれば、無意識下で、外界のモデリングが行われており、これに合わせて、得られているセンサー情報を即時取捨選択するということ。当然ながら、モデリング過程で、センサー能力も変えるに違いない。 いくつかのモデルで処理が行われ、それをまとめあげると意識となるということ。 しかし、脳科学研究がこうした仮説を証明する方向に進むとは限らない。木を見て森を見ずとなる可能性もありそうだ。 そんな状況をやんわりと指摘した、秀逸な比喩が、この本の一番の価値だと思う。 ヒトの読書行動を見て不思議に思った宇宙人が、本のサンプルを徹底的に分析し、その意味を検討。しかし、様々な見解が得られただけ、という極く短い話である。 その通りだ。 分析思考では、抜本的な問題には対処できない。イノベーティブな成果を生み出したいのなら、概念思考ができるかどうかが、決め手なのである。 この話があるので、最終章に登場する2つのエピソードが光る。 1つは、心をもったロボットは作ることはできない、と語った著名な哲学者の話。論理も無く、独自の意見もなさそうな、重鎮の態度に“がっかりした”そうである。残念ながら、日本では、どの分野でもよくある話だが。 もう1つは、「心は脳から生まれる」という“科学的事実”にもかかわらず、里山で野仏に出会うと思わず手を合わせる自分がいるとの話。“情”の本質は、まだよくわからないのである。 ここに至り、なるほど、そういうことかと合点がいった。 相反する実験結果があったり、脳の働き方について正反対な見方が提起されることがあるが、それは脳がプログラムを複数もっているということだろう。違うプログラムが動いてしまえば、異なる結果がでるのは当然のこと。 パソコンで文章を書くといっても、テキスト入力内容が同じでも、プログラムによりアウトプットが違ってくるようなものだろう。目的によって、使うプログラムは変わってくるだけのこと。 ・メモ帳 ・ワード ・エクセル ・パワーポイント 錯覚も同じことが言えそうだ。 最初に、いったい何のために、絵を眺めるか、が重要ということ。この目的に合うベストなプログラムが自動的に動いてしまう。他のプログラムもあるから、この結果を一般論化すると間違う可能性もあるということ。 錯覚が発生しない人は、別なプログラムを走らせているのである。 しかし、こうしたプログラムを誰がどうやって作ったのだろう。 ・・・などと、つい考えてしまった。 --- 参照 --- (1) 藤田一郎: 『「見る」とはどういうことか―脳と心の関係をさぐる 』 化学同人 2007年5月 http://www.kagakudojin.co.jp/library/ISBN978-4-7598-1307-4.htm (2) 前野隆司: 「ロボットの心の作り方−受動意識仮説に基づく基本概念の提案」 日本ロボット学会誌 29(1) 51, 2005年 http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/consciousness/rsj2005kokoro.pdf (目(覚醒) のイラスト) (C) E-ARTjapan http://www.e-artjapan.com/ 教育の危機の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
|
(C) 1999-2007 RandDManagement.com |