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2007.12.17 |
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インドの算数に注目してどうするつもり…“インドがすごい!”という人がいるから、“そうですね”と相槌を打ったのだが、“あの教育に太刀打ちできるだろうか”と本気で言うのでビックリした。識者と見ていた方だからである。日本人の目も、ついに、ここまで曇ってしまったのかと愕然となった。 インドの力とは人の数。競争力の根源は、教育の質ではなく、教育の規模だと思う。ほんの一部のエリート校を除けば、教育自体はいかにも非効率に映る。 従って、そんな教育は反面教師以外のなにものでもない。 グローバルなセンスを持つ経済学者やビジネスマンなら、インドの教育の欠陥を語ることはあっても、褒めるとは思えない。 ただ、数の力を発揮できるようなシステムを構築し、うまく運営するスキルの教育については、学ぶ点は多いかもしれない。少数のエリートが大勢の人を活用する体制には慣れている国ということである。 それはともかく、実は、“すごい!”というのは、九九の話。 例えば、12 x 17 = □□□ という問題を出すと、インドの小学生は即座に正解 [204] を答えるから、“すごい!”となるようだ。 山の手線の駅名をすべて言える小学生を“すごい!”と言うようなものだと思うが、そんなことを言おうものなら、血相をかえそうなので黙っていたのだが、なにか勘違いしているようだ。 何故、インドの子供がそんなことができるかといえば、二桁算の九九を空で覚えているからにすぎない。日本の子供が劣っているのでもないし、そんな能力に欠けている訳でもなかろう。無駄な暗記と考え、誰も努力しないだけのこと。 そもそも、インド人の二桁算九九の暗記など、驚くような話ではないのである。 間違ってはこまるが、インドの情報として、この位は常識と言っているのではない。 こんな膨大な九九を覚えるのは算数「教育」の問題ではなく、「文化」の違いにすぎないということ。 それこそ、ドアは押したり引いたりするもの、寝る時はベットに上がる、という西洋センスの人が、日本では扉は横にスライドさせるし、寝る時は布団に降りると聞いて、仰天するようなもの。確かに、そんな時代もあった。 しかし、グローバル化すれば、その程度の違いは、あって当たり前と眺めるのが普通。 九九も同じ。 インドの小学生が“12 x 17 = 204”を即座に暗算できたことが、インド人の能力の高さを意味している筈も無いし、教育が優れている訳でもない。 従って、こんな計算問題で国別の成績比較をしたところで、下手をすると文化の違いを見ているだけだったりしかねないのである。
例えば、ヒンディ語では、数字の1〜100は、それぞれまったく別な言い方だ。(1) 大きな数字でも、右表に示すように、10万や1,000万の呼び方があり、10進法による簡素化は進んでいない。 ともかく数字を沢山覚えさせる文化ということがわかる。それこそ、99x99まで覚えさせかねない社会なのである。 流石に、そこまでは覚えさせないだろうが、20x20程度は必須レベルでもおかしくない。 どうしてそんな面倒な暗記を文句も言わず、どちらかといえば、喜んで勉強するかといえば、九九を覚えていなければ生きていけないからに他ならない。 インドに赴任したビジネスマンにきいてみれば、そんな事情はすぐにわかる。この国では算術ができなければ買い物で大損しかねないのだ。 こう書いても、感覚的にわからない人がほとんどだろう。公定価格同然の商品を、決められた買い方しかしない社会に住んでいるからだ。インドには、そんな市場は無いに等しい。 子供でも、どのような買い方をして、どう値切ったらよいか、頭を働かせる。その場でお金の計算ができないようでは、交渉できず、お話にならないのである。 社会が違えば、教育内容も変わるだけのこと。 別に、ITに向く人を育てるために、二桁の九九がでてきたのではないし、こうした教育があったからIT向きの人材が生み出されたという証拠などない。 教育とは文化に規定されている。それを理解せず、自分の常識から判断してしまうと、大きな間違いをしでかす。 注意すべきだと思う。・・・というのも、あまりに一般論すぎるから、もう少し、説明しておこう。 数字文化を考える点では、フランス語がよかろう。 習った人は覚えていると思うが、こと数字に関しては、とんでもない言葉である。ネイティブ以外が間違うように、わざとややこしくているのではないかと思った人も多かろう。 71や97の非合理的表現にイライラせず勉強した御仁は、相当できた人だ。 なにせ、前者は60(soixante)と(et)11(onze)だ。後者は、4(quatre)x20(vingt)+10(dix)+7(sept)と読む。 覚えづらいことこの上ない。違う言葉の丸暗記の方が余程ましで、いい加減にしてくれないか、と叫びたくなる。 もっとも英語にしても、12進法に10進法を導入したようなもの。11からではなく、13から19まで、3から9に、10(ten)を加える表現として、“teen”が接尾語に付いているからだ。 20、30、・・・、90は10倍の“ty”だから10進法文化と思いがちだが。 それに、12進法は未だに生きている。ダースという単位は使われているし、世界中で12時間が半日で、12ヶ月が1年。 そういえば、少し前までは、お金の単位も、1ポンド12ペンスだった。 おそらく、イギリスでは、こうした過去の文化を今もって引きずっているだろう。そうなると、12の倍数を覚えさせるかも知れない。 言うまでもないが、世界は、12進法を採用してもよかった。ただ覇権国が10進法を標準としたから、それに合わせただけのこと。(指計算という説もあるが。) コンピュータのように8進法か16進法にしていたら、もっと合理的だったのにと言う人もいるだろう。 ここまで描けばわかるように、日本の数字表現は完全な10進法。それも、昔からのこと。 例えば、“やおろず(八百万)”の神と言うが、これは“やお(800)・よろず(万)”。ちなみに、8万は“や・よろず”だし、8千は“や・ち”である。 算盤など勉強しなくても、位取りの考え方は言葉を覚えたところですでに頭に入っているのが日本人なのである。 フランスやイギリスではこうはいくまい。位取りの考え方を理解するだけでも、簡単ではないと思う。 100までの数字を覚えるインドなど、さらに輪をかけた状況と言えよう。 とにかく、丸暗記すべき量がとんでもなく多い。これでは思考どころではなかろう。 とんでもない量の暗記九九をしていることをして、IT産業向きの人が育つという理屈は、理解しがたい。 ただ、そんなことを言うと、たいていは、インドでは計算プロセスを徹底的に教えるとの反論が返ってくる。それなら、何故、つまらぬ暗記を減らさないのか、ききたいものである。 どの国でも、その文化に合わせて、計算プロセスを教えているのだ。当然ながら、教え方は相当違う。それだけのことである。 そんなことより、注意すべきは、計算テストでは、日本は初めから優位に立っているという点を見落としていないかということ。 小学生レベルでは、国際テストで算術がからむ問題で高成績がとれてしかるべきである。教育効果より、文化の差が効くからだ。 しかし、海外の国々も、位取りが身についてくる年代になれば、日本の優位性は失われる。 これを考慮して、国際テストの成績を読む必要があろう。 文化や社会の違いを見ず、狭い視野で教育効果を議論すると、こうした点を見落としがちだ。特に、日本の場合、ドメスティックな文学者や、文化の違いに関心が薄い教育専門家の意見を重視しがちだから、教育水準を見誤る可能性が高い。 --- 参照 --- (1) 町田和彦: 「0から100までヒンディー語で発音してみよう」 http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/numeral.htm (2) 高杉親知: 「思索の遊び場」 世界の言語の数体系 ヒンディー語 http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/number/hindij.html (参考: インドの初等教育の状況) インドは11億人という巨大人口の上、人口の4分の1は貧困層。 識字率向上に力を入れている文字通りの発展途上国。子供の数が多いので、小学校入学者数は世界最多。ドロップアウトも多い。 http://devdata.worldbank.org/external/CPProfile.asp?SelectedCountry=IND&CCODE=IND&CNAME=India&PTYPE=CP http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/10th/volume2/v2_ch2_2.pdf http://www.unesco.org/education/gmr2008/regional_overview/southandwestasia.pdf (イラスト) (C) School Icons CLUB >>> 教育の危機の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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