表紙 目次 | 2014.2.23 大学を早くなんとかしないと…大学は競ってキャンパスを美しくし、気持ちの良い環境を作ることには成功しているのだが、肝心の誰に何を教えるかについては、分裂気味のようである。入学者先細りを考えて、一般人対象の文化講座に力を入れて見たり、学生集めの切り札として資格取得に強いことをアピールしたり、スキル習得のカリキュラムが完備されていることを宣伝をするなど、その熱意のほどはわからぬでもないが、ソリャほとんど対処療法では。 おそらく、こうした動きを後押しする、旗振りジャーナリストが大勢いるのだろうが、もっとも重要なことに注力した方がよいと思うが。 小生は、学生を対象にしない教育や、学外でもできる取り組みは、学外組織に任せた方がよいと思うが、どんなものか。 学外には運営のプロならいくらでもいそう。自分の領域外には無関心な学内者に新方針を説得する労力などおよそ無駄仕事だし、素人のマネジメントで運営する意味もなかろう。 そんな活動に向いた場所があり、教員も存在しているというなら、ブランドも含めて、貸し出せばよいだけの話。 ただ、基幹業務は滞りなく運営されている訳である。 怒りを呼ぶかも知れぬが、率直に言えば、就職用卒業証明書発行機関ということ。大過なく、指定された課題を真面目に取り組む体質であることを保証しているだけ。 言うまでもないが、顧客目線ならこうなっているということ。これが現実であり直視すべきだろう。問題は、教員側の考えとは一致してはいない点。従って、学生は大学教育を醒めた目で眺めているに違いなく、その期待レベルも低かろう。 しかし、それでも十分なのが、日本社会の仕組み。それは大学のせいではない。 今は、まだそれでどうにかなっているが、そんなことを続けていて、はたして大丈夫かネ。 与えられたことに真摯に取り組む「良質」な人材を輩出すること自体は結構なことだが、ワトソン君が活躍する時代に、そんな人材需要がどれだけあるか考えるべきでは。 グローバルに見れば、すでに、大卒は就職難に陥っている。日本は遅れているだけにすぎまい。その理由は単純で、ITでこなせる分野が余りにも多くなり、よく訓練された「それなりのスキル」に頼る必要がなくなったからだ。それによるコスト削減もさることながら、余計な人を省くことで、「知的」生産性を高めることができることに気付いたからである。・・・大学卒業後、職場訓練によって、それなりの高度な業務をこなせるようになり、「それに見合った給与」を得られるという今迄の常識はこれから崩れ去っていくのは明らかだと思うのだが。 ゼネラリストに毛が生えたような「手順を知り抜いて、高品質な仕事ができる」サラリーマン稼業は無くなると見るべきだろう。 まあ、政府による規制を好む国だから、変化がすぐに訪れるとは思えないが、それは国が没落していくことと同義でもあろう。 そんなことを言うと、それなりに対処しているとの返事になることうけあい。それが心配のタネでもある。 大学の蛸壺文化を変えようということで、企業人や、毛色の変わった人達を教員に起用しているとくる。 是非とも、積極的に進めて欲しいと言いたいところなのだが、現実はなんとも言い難しである。傍から眺めると、人脈作りや人気取りに使っているように映るからだ。これでは、下手すると逆効果。長期的には、蛸壺文化の方がましだったとなりかねまい。 わかりずらいか。 日本における実務者とは、たいていは部署をグルグル回ってきたゼネラリストで、人脈形成のプロなのだ。それはそれで意味があるのだが、問題は、組織外では通用しないスキルである点。 ご本人は気付いていそうにないが、創造性とは無縁だからこそ、組織内で「活躍」できたのである。こうした方々が増えると、大学は変質しかねず、危険な流れと言わざるをえまい。 これからの日本の大学教育で重要なのは、先ずは「常識を疑い、自分の頭で考える習慣をつけさせること」。それなくして創造性でもなかろう。 もちろん、そのためには、入学前に基礎力がついていなければお話にならぬ訳だが。 そんなこともあるのか、闇雲に、ディベートを持ち込んだりする風潮も生まれているようだ。これは、下手をすれば、小賢しいスキルが身に付くだけになるから要注意である。 と言うのは、極めて閉鎖的な村社会が多いので、そのなかで自己の存在感を示したいが故に、屁理屈好きな人が多いからだ。その結果、延々と無駄な議論が繰り返され、時間切れでボス一任となる。当然ながら、知恵を出せる人はその場で黙っているだけ。言うだけ無駄どころか、それはマイナス効果しか生み出さないからだ。 このような体質があることを知りながら、討論の活発化を手法で対応すれば、この不合理な動きを助長するだけかも知れないのである。 ともあれ、優先すべきは、「どのように考えるべきか」を教えること。 従って、狭い分野の専門家だろうが、独創性を追及している方なら、伝えたいことは山のようにあろう。 ただ、その方の専門性が、学問全体のなかでどういう位置付けなのかを見る目が学生側にないのがつらいところ。歴史を暗記モノとして教育されてきたから、そうなるのは止むを得ないが、産業技術や科学にしても、講座はあっても全体視を教えるものではないのが普通。これではどうにもなるまい。 繰り返すが、ゼネラリストとは、周囲の人達の感情を読んで、上手に立ち回ることを旨としている訳で、組織運営にとっては重要な役割を果たすが、将来を読むとか、ものの本質に迫ろうという気質ではない。このような人が溢れてしまわないよう配慮が必要だと思う。 間違ってはこまるが、ここでいう専門家とは、学界云々という話ではない。 例えば、鮨職人も候補である。鮨とはどうあるべきか、徹底的に考えておられる方が見つかれば、大学教員として金の卵。そこから新しい知が生まれるのは確実であり、しかも、それは社会に大きなインパクトを与えるかも知れぬではないか。 →教育の危機の目次 →表紙 (C) 2014 RandDManagement.com |