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2004.1.4 |
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貧弱なコンテンツは何とかならないのか…CNET News.comによれば、フセイン元大統領拘束のニュースをインターネットで読んだ人が多いという。Washington Post、New York Times 共に、朝刊にはこのニュースが掲載されなかったが、ウエブには記事が掲載されたので、インターネット・アクセスが集中したらしい。 (http://news.com.com/2100-1028-5123172.html) 多くの米国人が、「We got him.」とのBremer米文民行政官の発言を、インターネットの記事で読んだらしい。 米国では、ついに、ウエブでニュースを読むことが当り前になったようだ。 それを裏付けるデータもある。2003年2月に発表された、UCLAのインターネット・レポート「Surveying the Digital Future」によれば、インターネットが情報源として「最も重要」と回答した人の割合は、新聞を抑えて1位(61.1%)だった。 (http://ccp.ucla.edu/pdf/UCLA-Internet-Report-Year-Three.pdf) Pew Internet & American Lifeが2003年12月22日に発表した調査報告「The changing picture of who's online and what they do」も、メール以外の用途が急速に広がっている状況を示している。利用時間が増え続けているのだ。 特に顕著なのが、様々な情報探索利用だ。 これに加えて、旅行プラン作成や取引も急増している。オンライン・バンキング人口は3,400万人、オークションには2,400万人も参加した。1割の人は株取引まで始めた。 なかでも、高収入の家庭、大卒者は、インターネットで、政府情報を見たり、オンライン・バンキングやオンライン・オークションをよく利用するという。 但し、インターネット利用者数は伸びなくなったという。 (http://www.pewinternet.org/reports/pdfs/PIP_Online_Pursuits_Final.PDF) インターネットが身近になったのが、1995年であるから、新聞並の重要度に達するのに10年かからなかった訳である。 ブッシュ政権になってIT促進政策は消え去った感があるが、かえって、インターネットの浸透が深まった印象を受ける。 一方、日本はどうか。 平成15年版情報通信白書には、「e-Japan戦略に掲げるブロードバンドネットワークの整備目標を達成し、世界で最も低廉な水準のブロードバンド料金を実現するなど世界最高水準に達しつつある」と、誇らしげに成果が記載されている。 確かに、2002年末で、ブロードバンド利用人口は約2,000万人、携帯インターネット契約数6,246万と巨大な数字が並ぶ。 (http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/whitepaper/ja/h15/html/F1100000.html) インターネット普及率もすでに5割を越えている。数字の上では、米国に追いつき、追い越す勢いだ。規制緩和政策と通信料金低下により、インフラ整備目標は驚くべきスピードで実現されたと言える。 [2003年12月26日発表の総務省データによれば、11月末でのブロードバンド利用数はDSL 959万 (12月12日速報値はDSL 991万)、FTTH 82万、CATV 243万に達した。一方、ダイアルアップは1926万。携帯は6,721万。] (http://www.soumu.go.jp/s-news/2003/031226_6.html)) しかし、米国並の利用状況に達しているとは思えない。 フセイン拘束ニュースへのアクセス状況や、UCLA調査でもわかる通り、米国の特徴は、インターネット利用層がインターネットを通常の情報源として駆使している点にある。情報収集の拠点ともいえる大学図書館のインターネット普及率など100%である。 米国では、インターネットが知的生産性向上の道具になっていると見てよいだろう。 そして、このような使い方をする層が、インターネットを取引手段やエンタテインメントにも使おうとしている訳だ。 このことは、普及率は6割だが、米国社会の屋台骨を支える知識層へは、あらかた浸透したことを意味する。インターネット無しでは、知識層は生活ができなくなっていると見てよい。 一方、日本では、インターネットを新聞並の重要度とする人は未だに少数派だと思う。 エンタテインメント分野にしても、スタンドアローンのゲーム機器は普及しているが、インターネットゲーム化はさっぱり進まないし、インターネットで音楽を楽しもうとする人も稀なようだ。 進展が目立つのは、電子政府化プロジェクトと、アダルト・サイトばかりだ。 普及率だけは立派な数字だが、個人の本格的利用が進む兆しがさっぱり見えない。 なかでも問題は、インターネット利用が決定的に遅れている知識労働者が大勢存在することだろう。加入はしているが、何時までも最低限の利用に留まっている人が多い。 送ったEメールを読んでもらうために電話連絡が必要だったり、半年間メールボックスを開けない人さえいる。 インターネットを利用しなくても日常生活に困らないから、使わないのだ。インターネットを日常的に使っていなければ、確かにEメールなど手間がかかるだけだ。FAXで十分である。 「横並び意識」の悪習で、インターネットに加入しただけかもしれないが、こうなるのも致し方ないのが日本の実情かもしれない。 インターネット閲覧をしたところで、日本語のウエブは貧困なものが多い。知的水準が高い人達は、見てもすぐに飽きてしまう。残念ながら、米国の状態には程遠いのである。 例えば、海外紙のウエブの記事には紙面情報と同じ詳細な内容が含まれている。一方、日本紙のウエブ掲載記事はニュースの要旨ばかりだ。とても比較にならない。 インターネットラジオのリストを見ても、並ぶのは海外局ばかりである。海外なら、様々な局から好きな番組を選べるが、日本の放送局は一握りしかない。嗜好が違えば聴く気にもなるまい。 なかでもわかり易いのが、検索結果である。日本語で調べると、個人の下世話な日記ばかりがゾロゾロと登場してくる。一回経験すれば、検索する気も失せる。 この状態では、インターネットは日常生活に不可欠と主張する勇気は湧かない。 日本の課題は、どう見ても、普及率の向上ではない。 魅力あるコンテンツの登場こそが、緊要な課題である。今のままなら、インターネットの意義は半減しかねない。 地上デジタル放送の普及も同じ現象が予想される。 アナログ放送廃止との国の方針に従い、粛々と買い替えが進むのだろう。しかし、同じ放送局が担当するのだから、放送内容はほとんど変わらない。しかも、高精度デジタル画像の作成には高額の費用がかかるから、美しいプログラムを並べることもできまい。 「家庭のIT革命を支える基盤」を狙うとの掛け声がかかってはいるが、視聴者にとっては、変わり映えしないTVプログラムを愉しむだけだ。コンテンツは変わらないが、素晴らしいインフラだけができあがる。 メディア業界の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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