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2005.1.4
 
 


格闘する書評者が欲しい…

 「岩波アクティブ新書は2004年12月刊行の2点をもちまして、新刊の刊行を停止いたしました。」(1)

 かつて、科学書の書評をウエブで公開していた森山和道氏は、これに対して「苦手な分野で勝負をかけても無駄。」と一言。(2)

 きつい言葉だが、その通りだと思う。

 岩波書店が、何故こんな企画を始めたのか、素人には、その理由はさっぱりわからない。そもそも、どんな刊行書が並ぶシリーズなのかも知らない。
 突然、本屋の棚に宣伝看板とともに新書本が並んだのは覚えているが、残念ながら何の印象も残っていない。

 ・・・どうしてこうなるかといえば、出版社が独自に抱えているタニマチ的人々が、異質なシリーズに属す本を宣伝しないからだと思う。
 あるいは、宣伝してくれても、そのシリーズが対象とする読者層を外しているのかもしれない。
 いずれにしても、この出版物に関する情報はさっぱり伝わってこなかった。

 言うまでもないが、新刊本の洪水のなかで、本を選ぶのは極めて大変な作業である。わざわざ、趣旨がよくわからないシリーズの新刊に目を通す気になる人は少ないと思う。
 この本を読むべきだ、とのアドバイスなしで、素敵な本にめぐり合うことは稀である。

 従って、こうしたニーズに対応する書評は不可欠だと思う。

 ところが、出版社あるいは著者の周囲に存在するタニマチ的人々の四方山話型書評と、書評形態のエッセイばかりで、新世界案内型の書評には滅多にお目にかかれない。

 もちろん、エッセイ風書評に意味がない訳ではない。というより、魅力的な内容も多い。

 例えば、千住真理子さんの“「必死」な本でなければ、読みたいと思わない。”との一言は、心に沁みる。(3)

 しかし、これは求めている書評とは違う。

 欲しいのは、「本を読む為の判断基準」となるような評価である。好事家ではなく、専門家のレーティングを知りたいのだ。
 本の虫ではない人間にとって、限られた時間を無駄な読書に費やしたくはない。つまらぬ内容の本を読む位なら、面白い書評をじっくり読んだ方が有意義なのである。

 NewYork Times のBOOKS ON SCIENCE に掲載されるような書評がでてきて欲しいものだ。(4)

 当該領域に本当に興味をもっており、格闘する書評者のコメントを読みたいのである。

 つまり、欲しいのは、・・・
  “読者に「分かってるな、こいつ」と思わせる”書評者、 
  “「こいつと一緒に本の話をすると楽しいだろうな」と思わせる”書評者、なのだが。(5)

 --- 参照 ---
(1) http://www.iwanami.co.jp/hensyu/active/index.html
(2) http://moriyamabook.seesaa.net/ 2004年12月03日ブログ
(3) http://www.yomiuri.co.jp/book/column/pickup/20041207bg01.htm
(4) http://www.nytimes.com/pages/books/index.html
(5) http://www.moriyama.com/What_is_book_review.htm
  残念ながら、森山氏のウエブ書評はずっと中断中


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