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2005.6.13
 
 


放送+通信産業の見方 (4: 寡占弊害問題)…

 2005年5月30日、韓国盧大統領が、よりもよって、世界新聞協会総会の開会式で「言論権力の乱用制御する仕組み必要」と演説したそうである。(1)
 公正取引の観点から、寡占を許さないというのである。

 朝鮮日報/中央日報/東亜日報が批判的なので、規制で対応すると、世界の新聞メディアを前にして語ったのだ。読者が何を読もうと勝手であるという、民主主義国の原則に挑戦するつもりらしい。
 呆れてものが言えない。

 朝鮮半島には、南北ともども、とんでもない首領がいる訳だ。
 と言うことは、南の方も、早晩、安全保障と経済が行き詰ることになろう。余計なお世話ではあるが。

 もっとも、これは他山の石である。

 日本でも、放送業界の議論では、必ず「マスメディア集中排除原則」の話が登場する。この原則が守られないことを重大視する人が結構多い。
 盧大統領とよく似ている主張だ。但し、政権側でなく、主に反権力の人達が語ることが多いようだが。
 例えば、2005年3月に、お役所が違反を指摘(2)したのに、メディアはほとんど報道しないとご立腹になる。

 規則違反放置という点では、正当な主張だが、この規則自体すでに無用化している。この現実を語らず、ドグマを振りかざす。お陰で、全く意味のない規制がいつまでも残る。

 昔から新聞社と放送局はグループ化している。そして、巨大メディアが日本の放送産業を支配しているのは歴然たる事実である。
 今更、集中排除論を騒いでどうするつもりなのか聞いてみたいものだ。
  (もっとも、一部だが、腐敗した独占地方メディアがあり、こちらは深刻な問題である。)

 そもそも、放送法では、対象分野外の新聞社の行動をコントロールはできない。
 本当に独占状態の弊害を防ぎたいなら、公正取引委員会に任せるべきだろう。ところが、そのような正面切った声は小さい。法律論を後ろ盾にしたドグマ的な主張ばかり。
 そのため論点を絞ることができないのが、業界論議の特徴である。

 それに、新聞業界を見ると、寡占と言うより、大手メディアが多すぎるような感じがする。この状態で、新聞社の系列で放送が行われるなら、寡占化は余り進んでいないと見るべきだと思う。
 間違えないで欲しいが、これは大手の総合メディアの話である。似たような総合メディアは2〜3で十分である。無駄な競争が多すぎる。
 欲しいのは、ローカルに集中したり、専門分野に特化するメディアの方である。こちらが増えれば産業としては健全な発展に繋がるのだと思う。ところが、日本は総合メディアがこんなものも抱え込もうとする。無理筋だと思うのだが。

 こうした発想はどこから来ているのかわからないが、閉鎖的な社会に慣れ親しんでいると、これが常識なのかもしれない。
 そんな人達だから、放送の外資規制の論議が度々蒸し返される。大笑いである。
 海外文化を勝手に流入させると、日本文化が傷つくとでもいうのだろうか。ディズニーランドは許しがたい存在と考える人達が未だに存在しているのかもしれない。
 エンタテインメントに国籍の話など全くもって無用と言わざるを得まい。
 もともと、コンテンツが安価に作れないから、海外から調達してきたのに、直接販売はさせるなと言っているのに近い。

 経営母体が何だろうと、魅力ない番組や偏向した報道を流せば、視聴者は見なくなるだけのことである。

 一番の危険は寡占や株主の問題ではない。メディアを押さえ込もうとする動きに、自ら加担することが最悪である。
 他のメディアがこうした動きを抉り出し、批判を浴びせなければ、(3)この流れは抑えることができない。

 --- 参照 ---
(1) 朝鮮日報 日本語版 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/05/30/20050530000069.html
(2) http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/050302_1.html
(3) http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050330AT1G3002X30032005.html
 

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