■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2012.9.4 ■■■

   神々しい御方を待つ木

神々しい御方を待っている樹木がある。そう「マツ」(松)のこと。

別に語呂合わせをしているのではなく現実。元旦に歳神様においで頂くためには、家の入り口に「門松」を飾る必要があることを知らない人はいまい。
と言っても、縁起モノ的な正月のお飾りと見なしている方も多そう。松竹梅的な長寿ご利益木としての意味もあり、お目出度い席の装飾の定番だから、そう考えるのも無理はない。
雑に考えると、この両者を同根の発想と解釈しかねないのでご注意あれ。前者は倭の思想であり、後者は中国からの輸入思想だから、本質的には全く異なる考え方。それをわかっていても、概念の違いをおおっぴらにするのは気分が悪いから、適当に習合させてしまうのである。

さて、この「神々しい御方を待つ」という意味だが、常盤木だから、神霊が天下る依り代/神籬(ひもろぎ)と解釈しがちだが、それとは違う。依り代は、それこそ雷が落ちそうな山に生えている木であり、当然ながら広葉樹。松は、日当たりがよく土地が痩せているが、十分降雨量が見込める環境で育つ針葉樹だから、それには該当しないのである。
もともとは祭祀という訳ではなく、待ち合わせの木だったのである。時間の余裕がある高貴な人達にとっては、心地よい逢引き場所に生えている樹木ということ。海辺では、白砂青松の景色となるし、山だと、明るい尾根筋や野の続きとしての里山の情景ということになる。
だが、そんな習慣が定着するずっと昔に、すでに海岸に生える松は、遠洋からはるばる来訪する貴人たる海人達の上陸に際しての絶好の目印になっていたのである。しかも嬉しいことに、松の木は樹脂分を多く含むので火力がえらく強い。つまり、海人が好む木だった訳である。このシーンを土着民が見れば、松は「神々しい御方を待つ木」となる。

従って、マツとは痩せた海岸に育つ樹脂分を多く含む木を指す。ただ、同じような葉で山に生える木もあるので、それもマツとなった訳である。両者は、幹の色の違いが歴然としているので、それぞれ黒松、赤松と名付けられたというにすぎない。
本松、赤松とならなかったのは、製鉄や須恵器製造が盛んになり、赤松がその燃料として使われたから。赤松が「神々しい御方を待つ」木の役割を担ったのである。これではわかりにくいか。・・・倭には、鉄の原料が無いので、鉄は朝鮮半島からの輸入だった。しかし、朝鮮半島もそのうち禿山化してしまい、高度な技術者集団が燃料としても赤松が豊富な倭に移転を開始したのである。そうこうしているうちに、国産原料を発見した訳である。古墳時代も似たようなもの。ただ、それは最初だけで、須恵器製造技術を習得した後は、国内の技術集団が各地に釜を作っていった。赤松があるからということで、各地の豪族が高度な技術集団を呼び寄せた訳。

要するに、日本では、もともと限られた場所でしか見られなかった樹木。それが、一気に増えたのは林が焼かれたからである。野原にする気がなければ、そこをマツ林化させたくなるのは人情。そんなお陰でマツが有名な樹木になったということ。従って、万葉集にも取り上げられている。どんな気分の木か知りたければ配流の身となった有馬皇子が、護送中に詠んだ歌がよかろう。[巻二141]
  磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた還り見む
旅の安全祈願に、枝繋ぎの御呪いをして、戻ってくるまで、マツの木が待っててくれることを大いに期待して詠んだ歌である。残念ながら絞首刑となり、帰ることはなかったが。

クロとアカ以外のマツだが、倭の領域外の蝦夷の地では、針状の2本葉である倭のマツは存在しない。マツ無し状態もなんなので、葉がマツとは全く違う樹木を(クロ)エゾマツ、アカエゾマツと無理矢理命名。本州の高山地帯で見られるトウヒの原種のようだから、モトトウヒとでもしてくれればよかったのだが、そうもいかない訳である。一旦、マツと名付けてしまうと、同じようにマツでもなのに、トドマツという名称も大手を振って歩いてしまう。アイヌ民族のトトロの木といった感覚で名付けたようだが、本来的にはエゾシラビソであるべき。
一方、南の琉球にはマツは存在している。リュウキュウ(アカ)マツである。アカがクロの生存領域たる海辺でも生きているのでリュウキュウクロは無い。

類縁のマツだが、3本葉のマツがある。中国から持ち込んだもののようだ。名付けるなら、三葉の松とすべきだが、クロやアカと差をつけたくないので、灰白色樹皮に合わせてこれはシロマツ。なぜ、同等扱いにこだわっているかといえば、俗称「三鈷の松」だから。そう言えばおわかりだと思うが、空海が密教用具の三鈷を放り投げた先に生えていた松なのだ。高野山選定に至った伝説だが、シロマツが大師来訪をずっと待っていた訳である。

さらに付け加えるなら、5本葉品種。ご存知、ゴヨウマツ。高地と日本列島北部でしか生きていけないとはいえ、日本の原種だから、現代人だとこちらをシロマツとしたくなるところだが、アカとクロが持つカリスマ性はない樹木だから致し方ない。この樹木が高度を上げる地域に入ると、風が強いから、這うような体勢になってしまう。ハイマツである。

ここでお話はお仕舞いにしたいところだが、清々しい高原に生えている多本葉品種にも触れておかねばなるまい。ただ、マツと呼ぶには難点がある。落葉樹だからだ。だが、暑い夏にお金がある都会人種を待っている樹木に変身したから、今や、紛れもなきマツの木である。そう、ご存知カラマツのこと。高原のカラマツ林の風景画は唐絵のように素敵だとの理屈で、そこらじゅうで植林が行われたから、馴染み深い木である。ただ、唐松とは書かず、落葉松とするのが礼儀らしいが。そうそう、尾瀬ではハイカーを待っている木道としても大活躍中。そんな状態だから、カラマツ自然林など皆無に近いと思われる。

もっともそれはカラマツだけの話ではなく、アカマツやクロマツにも当てはまりそう。ヒトが面倒を見ないと、他の樹木に覆われてしまい、滅び去っていく樹木林だからだ。人工栽培は難しい松茸が品薄になっているのも、アカマツ林のメインテナンスができなくなったせいである。その一方、クロマツの立派な一本モノは、お金をかけて大事に保護され続けることになりそう。


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