■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2012.9.8 ■■■

   黒き実が落ちる木

黒い実の木は多種多用。
しかし、あなたにとって、黒き実の木と言われると何が頭に浮かびますか、と問われても咄嗟には答えられないのでは。
せいぜいが黒スグリか。
ちょっと思い浮かべれば、千両・万両や南天の赤色の実を黒色にしたような実が生る樹木もあったなと気付くが名前は知らないとなろう。
東京・港区には結構クスノキが多いが、この実もほぼ黒色ということを知る住人は少数派。それは当たり前で、一番に惹かれる点は、葉や材が発する清涼感を感じさせる臭いだからだ。樹木とはそんなもの。

現代人ならこれは致し方ない。しかし、古代人なら即座に答えた筈。
クリである。
「暗い」「暮」「黒」の共通語感であり、そのものズバリのクリは水底に澱む土(涅/p)色。黒板のような真っ黒ではなく、黒色に褐色が混ざっている色調。
尚、古語では小石のこともクリと呼んだらしい。いかにも日本語らしき概念の延長。
そんなところから見ても「黒き実が落ちる木」としては、栗がドンピシャ。

もっともこの手の説明に驚く方は少なくなかろう。栗の実は真茶色ではないかということで。まあ、確かにそうと言えなくもないのだが、それは現代品種で考えるから。古代のクリは、ずっと黒っぽかったし、小さな実だったのである。それを鋭意品種改良して栽培してきたから、今の大きくて栗色のクリになった訳。
ご存知のように、9000年前にはすでに栽培栗があった訳で、その思い入れは相当なもの。

ただ、そのころもクリと呼んでいたかは定かではない。しかし、古い日本語として通用していた言葉を、朝鮮半島由来とみなす主張はいただけない。両者のクリの概念が違うからである。それに、そもそも、朝鮮語系は基本語彙が日本語と全く違う上に、朝鮮の古代語を文献で拾っていくことは難しいから、そう易々と比較ができる訳がないのである。

ともあれ、日本のクリの概念はお隣の朝鮮半島と違って極めて狭い。棘があるイガのなかに3個実があるような形態でなければ、全く別系列の樹木と見なしてきたようだから。要するに、クリ、シイ、ドングリの実は峻別されていたのである。米(稲)、麦、雑穀と似たような価値の階層構造がありそう。ただ、穀類とは違って、クリ以外の木の実での品種改良の気はほとんどなかったようだ。
栗の実の甘さが他では味わえない悦楽感を醸しだしたということか。クリと違って油脂成分を含む木の実を除けば、クリ命といった感じだったのでは。

そんな味わい気分を確かめたいなら、丹波の大きめの山栗がお勧め。もちろんホカホカの出来立て焼き栗。この野趣新鮮さを喜ぶのが和風。
ちなにみ、中華風の楽しみなら、小石による遠赤外線加熱で甘味を増やした俗称天津甘栗。表面に油を塗るからベタついて気分が悪い点が欠点。渋皮が簡単に剥ける品種であり、和栗とはずいぶん違うが、年中食べられるので、お好きな人が多い。
欧風ならマロングラッセしかなかろう。形を壊すことを矢鱈に嫌う和の好みに合っており、人気商品。和栗相当品は栗甘納豆だが、どうもイマイチ。

肝心の樹木の方だが、素人にしてみれば、コナラ、アベマキ、クヌギとクリの違いを外見で判定するのは難しい。訓練しない限り、個体差を捨象して、種類差を感じとれるものではない。確かに言われてみれば、樹皮や葉の違いはあるといえばある訳だが。もっとも、クリに関しては、そんな微妙な違いを知ることにたいした意味はなかったかも。日本では、クリは、古代から、ヒトが全精力を込めて単一林を作ってきた種だからである。せっかく丹精を込めても、虫にやられることが多いのだが。


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