■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2012.9.25 ■■■

   葉が食事用品として使われた木

えらくヘンテコなタイトルだが、どうせ、カシワの木の話だろう、と読んで頂ける筈と思ってつけてみただけ。
なにせ、「炊(かし)ぐ」際に使用する葉ということで、カシキバという名称が付き、その樹木がカシワとなったと至るところに記載されているし、柏餅を食べる頃になると必ずといってよいほどそんな話を聞かされるから、常識レベルと言ってよいのかも。
ただ、出典が記載されていないので気にはなる。と言って、「菓子葉」でもなかろうし、間違いない見方だろう。それに、西日本の柏餅の葉はカシワではなく、サルトリイバラ(猿捕茨)と聞く。低木とされているが、写真で見るとほとんど草本。カシワが育っていない地域では、丸くて表面に光沢がある葉で、餅が葉に付きにくいから、使われたということか。葉で挟んで蒸すのだろうから、正統なカシキ葉餅と言えよう。
カシワ葉の縁起担ぎの話もよく聞くが、どうせ後付けだろう。縁起餅の飾りものとしての、椿葉や桜葉と似たようなものだと思われる。流石に、塩漬け桜葉のように食べることはできないようだが。

ともあれ、この葉は「炊ぐ」際に使うのである。調理用キッチンペーパー的役割を果たしている訳で、原則的には、包材ではないし、葉皿という意味も含んでいない。
柏餅は、今は蒸した餅を葉にのせて包んでいるだけの菓子が多いから、カシワに葉皿や包材の意味も含まれていると解釈しがちだが、それでよいのかははなはだ疑問。包材や葉皿用途としては異なる葉が使われていた可能性も考えておくべきだろう。
と言うのは、絶品の包材があるからだ。ホウの木だ。巨大な葉であり、名称もそれを示唆している。今では、朴葉味噌で皿代わりに使われているが、本来的には食品を包む葉だったろう。ただ、蒸す際にも使ったろうから、ホオガシワと呼ぶのが妥当な感じがする。
思うに、主用途は飯の携行。その後、道具が発達したため、竹の皮や弁当箱が主流になってしまい廃れてしまったが、どうしてもホウの文化を残したい人達が存在したので、朴葉味噌皿として残っているのだと思う。ホウ葉の代替品だったのかは定かではないが、柿葉寿司も同様な感覚で現存したのではなかろうか。
まあ、糯米/粳米を葉で包んで蒸しあげる粽という食品が入ってきたから、携行用品の主流は茅葉や笹葉等に移ってしまったということでもあろう。古くは、宴会大好き人間など、興が乗ると、ホオガシワ葉で酒を呑んだりした程好かれていたのに、アッという間に飽きられてしまったのである。
 皇祖の 遠御代御代は い重き折り
  酒飲みきといふぞ このほほがしは 
[大伴家持 万葉集#4205]

もう一つの用途である葉皿だが、こちらは古くから名前がつけられている。「くぼて」とか「ひらで」。魏志倭人伝で指摘されているように、手食をこようなく愛する人々が住んでいた訳で、食物を乗せる葉は「手」なのである。食事を通して、神から力を授かるためには、汚れを避ける必要があり、個人別だし、常に新鮮なディスポーザブルタイプを基本としていたのは間違いないところ。高杯型土器が登場しても、多くの人は葉に愛着を感じていたということ。ただ葉皿の場合は原則カシワ葉というルールがあったようだ。

面白いのは、カシワの和漢字表現の「柏」は中国では針葉樹のヒノキ科の木にあたる。ということは、大陸の炊葉は針葉樹だったので、その文字をカシワに当てたと考えるのが自然だろう。
例えば、和名コノテガシワという中国渡来樹木は針葉樹のヒノキそっくり。漢名は当然ながら柏が入っており、「側柏」。広葉樹のカシワの中国名は「槲」樹。
粉を練ったものを蒸すなら、針葉樹でよいが、粒のまま蒸すには不都合なので、日本では広葉樹に換えたということか。そうなると、大きくて、葉脈がしっかりしているカシワ葉が最適ということなのだろう。それにヒノキ葉だと香りが移り、しかもかなり強いから倭人の体質に合わなかったということでもあろうし。
と言うか、縄文土器の早い時代からすでにカシワ葉は使われていたのかも。葉の柄が堅いから、穴に通せは蒸す際の敷き台として重宝した筈。ヒノキ葉も使っていたに違いないが、用途はもっぱら魚だろう。とはいえ、生食好きだから、蒸す料理は臭い魚だけで余り行わなかったかも。現代同様、生魚の敷物には使っていただろうが。

そうそう、いかにも小皿的に使えそうな葉があった。アカメガシワ。別名がサイモリバ(菜盛葉)だから間違いなかろう。使用する季節が決まっていたようだから、宴会用か。
 印南野の 赤ら柏は 時あれど
  君を我が思ふ 時はさねなし 
[播磨國守安宿王@大殿 万葉集#4301]
この樹木、植物学的にはカシワの系統ではない。葉の形も違うし。赤芽というのは、新芽から暫くは葉の表面の毛が赤いかららしいが、その柔らかい葉で食材を包んでそのまま食べた可能性もありそう。そうなるとファストフードに近い。
ともあれ、軟い葉を手に取って、載っている食品を食べていたのだと思われる。それは柿葉でもよかった訳で、その感覚を今に伝えているのが柿葉寿司とはいえまいか。こうした柔らかい薄葉だけでなく、光沢のある強い厚葉も使っていたようである。後者は僅かに椿餅として風情が残っている程度だが、儀式的にも重要だった可能性がある。有馬皇子の処刑をも念頭においた旅路歌でそんな感覚を偲ぶ以上のことはできないが。
 家にしあれば 笥に盛る飯を 草枕
  旅にしあれば、椎の葉に盛る
[万葉集#142]

よくよく考えてみると、この椎の葉だが、神へのお供物用ということかも知れない。
と言うのは、飯盛葉としてそのものズバリの、イイギリ(飯桐)があるからだ。このキリという命名がポイント。
アカメガシワがカシワの類で無いのと同様、イイギリもキリの類でない。しかし、この3種、葉の形がよく似ていて桐紋の葉を思い起こさせる。花札で言えば鳳凰の木であり、それなりの縁起があるという訳。
もちろん、実用上でも、それなりの特徴はある。これらは、蟻ん子がウロチョロする葉だからだ。卵をうえつけられたり、葉を喰われたりすることが少ないから、生葉としての品質は高い筈である。

そういえば、お盆にお供物を載せる葉があった。一種のマットで、広すぎて、樹木の葉ではとても無理。使われるのは蓮葉である。荷葉ということだから、載せるモノは食に限らないのだろう。古代はかなりの高級品だったようである。
 蓮葉は かくこそあるもの 意吉麻呂が
  家なるものは 芋の葉にあらし  
[万葉集#3826]

うーむ。荷葉マットとは仏教世界から来た習慣だろうから、皿も沙羅双樹の葉というのが大原則の感じがするがどうなっているのだろうか。もちろん、気候的に沙羅双樹を育てるのは難しいだろうが、それに相当する木を設定していない筈はなかろう。それに、避暑地には必ずといって良いほどヒメシャラの木があるから、シャラの木が結構生えている筈である。
調べてみると、それは夏椿と呼ぶそうである。シャラという名称も結構知られているそうで、小生が無知だっただけのようである。と言うか、実は、小生も、この夏、サルスベリの赤い花と、この木の白い花を、ちょくちょく眺めていたのだった。案の定と言ってはなんだが、ツバキと称してはいるものの落葉樹。サラソウジュは常緑樹であり、どういう「見立て」なのだろうか。

こうして眺めてみると、葉の使用には、細かなルールがあったのかも。
 ・炊葉(キッチンペーパー)・・・柏
 ・菜葉(葉皿)・・・赤芽柏
 ・飯盛葉・・・飯桐
 ・大きなものの包材・・・朴
 ・小さなものの包材・・・柿
 ・粽用包材・・・茅、笹
 ・旅路での供物皿・・・椎
 ・正式な供物用工藝皿・・・柏
 ・正式なマット・・・蓮
 ・鄙でのマット・・・芋

樹木の葉の利用は南島文化発祥と見てよかろう。今でも、蒸したり焼いたりする時の包材、携帯食糧の包材、取り分け皿、ランションマットと、万能。すべて、古代から連綿と続いてきた習慣だろう。しかも、今や、観光の目玉だったりするから、これからも廃れることはなさそう。
ただ、和の目から眺めると、ずいぶん大雑把である。安直に手に入る葉を使っているだけに映る。
例えば、南洋島嶼では超大型のバナナリーフだらけ。これは樹木ではなさそうだが、一般的には近隣に沢山植えている樹木の葉を使っているにすぎない。タイはラワン(ヤーンプルアン)、バリだとヤシ、ジャワはあてずっぽうだがおそらくチーク。香り付け用を除けば、樹種などどうでもよさそうな雰囲気。(バリは葉皿にお供物を載せて毎日お祈りをするようだから、一寸違う感じはするが。)

日本列島も葉が大好き人間が多いようで、葉皿型陶器の人気は落ちる兆しがないし、折々、葉の時代を懐かしむかのように、葉を使った菓子や食品を愉しんでいる。
しかし、なんとっても圧巻は倭人の葉に対する姿勢。先進中国文化を参考にしながら、自らの好みに合わせ、葉の利用様式を作り上げたようである。しかも、矢鱈と細かく。

(当サイト過去記載) 和菓子の葉が気になって(2012.4.24)、柏葉で感じたこと (2009.11.2)、日本の餅文化起源仮説(2007.10.31)


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