■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2012.10.17 ■■■ 物悲しき、みの無き木 「蓑無き」と言った瞬間、ソリャ山吹とすぐわかってしまう。 江戸城城主太田道灌(1432-1486)が、新宿 戸塚に鷹狩に出向き、にわか雨に会ってしまい、豊島 高田(江戸名所図会からの推定では面影橋付近)の農家に立ち寄り、蓑を借りようとした話が余りに有名だからだ。力の支配者道灌が地域安定を図った創作だとの話もあるが実情はよくわからない。暗殺され、これでお家は駄目ダというのが最期の言葉と伝わっており、さもありなんという気もするが。 昔は、豊島だろうが、新宿だろうが、山吹は至るところに生えており、葉を切るとネバネバがでるので子供が遊んだりしていたもの。どういう加減かわからぬが、今は滅多にみかけなくなってしまった。敬遠されたということかも。 と言うことで、武器オモチャの山吹鉄砲の話から始めようかと思ったが、それでは余りに無粋。と言って、山吹色を取り上げたりすると、下品な時代劇のシーンが頭をよぎる。せっかくだから、素人なりに、歌で眺めてみようか。 と言っても、山吹の歌は五万とある。ここでは、物悲しさで行くとしよう。 先ずは、道灌話のモトネタの古歌から。・・・ 小倉の家に住み侍りける頃---(略)--- 七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞあやしき [兼明親王(914-987) 後拾遺集] 実が生らないのは、園芸種の八重だからだそうだが、華やかな黄金色であっても、何故か物悲しき雰囲気が漂う花であり、そこを突いた歌という感じがする。 それも道理。 実が生る、5弁の一輪咲きの野生種でも、古くから宗教観が漂っていたようだから。・・・ 山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく [高市皇子(654-696) 万葉集#158] 歌の背景を知らないと、ウン?、山道に迷った訳でもあるまいしとなりかねないが、実に悲しい歌である。亡くなった十市皇女を慕って冥土に繋がる泉を訪れた時に詠んだ作品だからである。山吹とは、冥土の入り口を暗示する花なのだ。 ともあれ、兼明親王の歌が余りに有名なこともあり、京都で山吹の里といえば、小倉と思いがち。 ところがドッコイ、それ以上の名所があるのだ。それは「井出」。京都府と奈良県の境の、丁度、木津川に玉川が合流する辺り。恭仁宮に近い場所である。 この地名の「井出」だが、「土手」の一般名「井堤(ゐで)」から来たとされているようだ。つまり、次ぎの歌の感覚。・・・ 「寄物陳思」 玉藻刈る 井堤のしがらみ 薄みかも 恋の淀める 我が心かも [作者不詳 万葉集#2721] その井出が何故に山吹の里とされるかと言えば、そこには、正一位左大臣として権勢を誇った橘諸兄(684-757)の別邸宅があったから。橘諸兄こと葛城王は、藤原4兄弟薨る後、聖武天皇の補佐役として大活躍。黄金の花「山吹」イメージができあがっていたのである。 山田比売島邸の宴で、少納言大伴家持が大臣にささげるべく、せっかく作ったのに、退席されてしまいお蔵入りの歌がそれを物語る。・・・ 山吹の 花の盛りに かくのごと 君を見まくは 千年にもがも [大伴家持 万葉集#4304] 小生は、万葉集のパトロンは葛城王で、その下で編纂にあたったのが大伴家持ではないかという気がする。 その後、その邸宅が井堤寺(いでじ)となる。木津川に注ぐ玉川を伽藍内に流し、川面に山吹の花をを映し出す設計がそのまま残っており、美しい大伽藍のお寺だったと考えられている。 こうなると、どうしても、山吹には物悲しさがつきまとわざるを得なくなる。と言うのは、橘諸兄は讒言で引退を余儀なくされ、不思議なことに、すぐに死去してしまったからである。 と言うことで、ほとんど直接的表現の歌が詠まれることになる。・・・ 蛙鳴く 井手の山吹 ちりにけり 花のさかりに あわましものを [読人不知 古今集] まあ、そりゃ、名前を明かせないわ。しかし、この歌で橘諸兄物語が出来上がった。後は、それを歌いたい人々が続々と現れるだけ。・・・ あしびきの 山吹の花 散りにけり 井出の蛙は 今や鳴くらん [藤原興風(898頃から活躍) 新古今集] 天暦御時歌合に 春ふかみ 井手の川浪 たちかへり 見てこそゆかめ 山吹の花 [源順(911-983) 拾遺集] 井手といふ所に、山吹の花のおもしろく咲きたるを見て 山吹の 花のさかりに 井手に来て この里人に なりぬべきかな [恵慶法師(962頃活躍) 拾遺集] 百首歌奉りし時 駒とめて なほ水かはむ 山吹の 花の露そふ 井手の玉川 [藤原俊成(1114-1204) 新古今集] 堀川院の御時肥後が家によき山吹ありときこしめしてければ奉るとて結びつけ侍りける 九重に 八重山吹を うつしては 井手の蛙の 心をぞくむ [二條太皇太后宮肥後 千載集] そして、小野小町(825-900)はこのお寺で晩年を過ごしたとの言い伝えまで生まれる。物語をさらに膨らませた訳である。・・・ 題しらず 色も香も なつかしきかな 蛙なく 井出の渡りの 山吹の花 [小野小町 新後拾遺集] 橘諸兄と同じような悲劇に巻き込まれることを予感していそうな、源実朝(1192-1219)も、想像上の井出の山吹に大いに感じ入った訳である。・・・ 款冬をよめる 玉藻刈る 井手のしがらみ 春かけて 咲くや川瀬の 山吹の花 [新勅撰集] 山吹に風の吹くを見て 我が心 いかにせよとか 山吹の うつろふ花に 嵐たつらむ 山吹の花を折らせて 人のもとにつかはすとて 散りのこる 岸の山吹 春ふかみ この一枝を あはれといはなむ [金槐和歌集] 「日本の樹木」出鱈目解説−INDEX >>> HOME>>> (C) 2012 RandDManagement.com |