■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2012.10.20 ■■■

   武蔵野に住む鳥に愛された木

武蔵野に多く棲む鳥で、人里近辺で矢鱈に群れるが、山がちになるとさっぱり見かけなくなる鳥をご存知だろうか。
大きさだが、スズメほど小さくはないが、ヤマバトほど大きくはない。
鳴き声は、ピュルピュルと、こ五月蝿い感じ。群れてさざめくかれたりすると耳障り。
色は、全体的には灰褐色系だが、個鳥差がかなり大きい。頭の天辺は黒くて、頬辺りに若干白い部分がある。
一大特徴としては、嘴の色。薄黄色から橙色の間といった感じか。これだけは目だつ。

その答えは、群れる鳥こと、ムクドリ。

昔、関東から離れると余り見かけなくなると聞いた覚えがあるが、今や、全国制覇の勢いらしい。もちろん都会の話。
雑食性で、棲家選定について柔軟性があるから、市街地の樹木を根城にして一大勢力を築きあげることに成功した模様。
なにせ、群れるから、そこらにいた小鳥は蹴散らかれてしまう。今日日、都会に猛禽類がいる筈もなく、ムクの天下というところか。お蔭で、評判はいまいち。我が物顔で糞をするかららしい。

と言っても、大好物の木の実は滅多なことでは食べれないし、田畑の虫もいないから、ムクドリ君が食生活に満足しているようには思えないが。
里山が存在していた頃は、ムクドリ君の害虫駆除活動に感謝ということで、一手に大好物の実を頂戴できた訳だが、今や、里山が消滅してしまったからどうにもならない訳だ。もっとも、里山復活運動もあるようだから、 そのうちありつけるかも。とはいえ、かつての経済活動再開ができる訳もなく、似て非なるものしか実現できないから期待しない方がよいと思うが。

前置きが長くなったが、このムクドリ君の大好物とは、ムクの木の黒い実。
もちろん、他の実も食べるし、虫も捕るのだが、秋になると巨大が群れがこの木に集合したから、ムクドリの木呼ばれていた筈である。
神社の裏側の日が当たる場所に生えていることが多かったようだが、雑木林にもポツポツ存在する。ムクドリ君が自ら種を運んで広げてくれた訳である。ただ、ムクの木がネグラという訳ではなく、たいていは竹林。
そして、普段は田畑中心に虫を食べる生活を送っていたのである。武蔵野が一番性に合っていた訳。
従って、武蔵野にはムクの木が矢鱈多かった筈。
もっとも、ムクドリがいなければ、ヒヨドリやオナガが実を食べるから、全国どこにでもムクの木の種はばら撒かれる。その場所が神社の境内だったりすれば、伐採しないから大木化。その結果、驚くべき貫禄を見せ付けている樹木もすくなからず。ただ、他の木のような深い巨樹信仰に繋がっているほどではなさそう。
それは、この木の一大特徴が樹形や葉型ではなく、黒くて甘い実だからだろう。古代から気に入られていた食べ物だったのは間違いないからである。古事記の記載がそれを物語る。・・・根の国でスサノオを欺くため、スサノオの娘(須勢理毘売命)が葦原色許男神ことオオナムヂに渡したのは、なんとムクの実なのだ。

ただ、この木、素人にはエノキと区別がつかない。「見分け方」に従って葉を良く見ると初めて判別できるといった感じ。しかし、すぐに、どっちがどうだったか忘れてしまうので余り役に立たない。そんな馬鹿はお前だけダと言われればその通りかも知れぬが。

葉を触ると、いかにもザラザラしていたらムクの木だと教えてくれる方もいる。
実際、木材の表面磨きに使われていたそうで、その辺りから、「ムク」という名前が付いたとの解説もよく見かける。それなら、はっきりわかるだろうと思ったが、実際にやってみると、エノキの葉でも結構ざらつき感があり、小生はよくわからず。鈍い訳である。

ついでながら、そのエノキだが、こちらは裏山ではなく、表側に生えていることが多い。日が燦々と当たっていても、割と水場が近そうな場所なら、たいていはエノキ。大きく枝を広げ、日陰を作っており、これがために植えられたのではないか。
一里塚の木とされているが、武蔵野ではもっぱら広場の木という位置付けなのでは。
巨木として注連縄が張られている場合も少なくないが、そのような木は根本から枝分かれしていたりする。おそらく、若木の時に幹が枯れ、新しい枝が成長した結果だと思われるが、この辺りがエの木という名称の由来だろう。


 「日本の樹木」出鱈目解説−INDEX >>>    HOME>>>
 (C) 2012 RandDManagement.com