■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2013.4.12■■■

   シーボルトが賞賛した潅木

ウツギ(空木)という名前はそれなりに知られてはいるものの、卯の花と言った方が通りがよい。もっとも、それは、「卯の花の匂う垣根に不如帰」という頭のなかだけの「夏は来ぬ」の情景でしかないが。・・・その元歌かは定かではないが、短かを引用しておこう。
 宇能花も 未だ咲かねば 霍公鳥
 佐保の山辺に 来鳴きとよもす
   
[大伴家持 万葉集#1477]

初デートで「ウノハナお好きですか?」と聞かれて、大好物という返事をしたため大いに盛り上がって結婚したという話を聞いたことがあるが、まあ人それぞれである。ちなみに、この話、質問者は日本文化の専門家で、回答者はこれまた文芸大好きなインテリ女性で、小生のような浅薄な知識しか持ち合わせない人間の会話とは相当違うので誤解なきよう。

枝の芯(髄)が空洞なので空木と命名されたそうだが、小生は信用していない。ウツギはもっぱら観賞用の木だから、内部構造に関心を寄せる人は少なかろうと見るから。開花時期を示す、卯月の木いう命名と見るのが自然である。それに、植物学的にはウツギと縁遠い種でも、○○ウツギという名称の植物も少なくないし。

こんなことを今までついぞ考えたことなどなかったのだが、ウツギにどんな種類があるのか調べていて、気付いたに過ぎない。

分類方法はよくわからないが、常識的には白色5弁の花が密集している木である。卯月でこれほど咲き乱れる木は他にないから素人でもすぐわかる。しかし、園芸品種は多種多様のようで、調べればきりがなさそうなのでやめた。とりあえず、目についたのはこんなところ。
  ・ビロード、更紗(淡桃八重)
  ・軸毛
  ・曙、紫、白花八重、梅花(大花)
  ・姫(小木)
  ・丸葉、裏白

実は、どのような木か知りたかったのはシーボルトが賞賛した「ムメサキウツギ」。北斎や広重が活躍していた頃で、長崎街道沿いの村の垣根の潅木。咲いていた花の美しさに魅せられたのだろう。
発音から見て"梅咲"だろうが、どのようなものだったのだろうか。専門家だから、「梅花」と似ている別種だと思われるが、残念ながら、該当しそうな種はわからなかった。どうも、現在の当該地域で植えられている種という訳でもなさそうだし。まあ、生垣そのものが消滅している可能性の方が高いから、それは当然ではあるが寂しい限り。
  【斉藤信 訳:「江戸参府紀行」1967年 平凡社[東洋文庫]・・・pp65: 】
 われわれが休んだ中原の村で、私は、生垣がみんなムメサキウツギなのを見た。
 −−−おそらく日本で最も美しい潅木のひとつであろう。


とはいえ、白色の花が眩しいほどに咲き乱れていたのは間違いない。卯の花の季節には、様々な花が咲き乱れるが、道沿いに緑の葉と白い花がずっと続く景色は、さぞかし印象的だったことだろう。それは、ガイジンのセンスと言うより、現代の日本人でも息を呑むような美しさだったと思われる。今や、そんな景色は滅多にお目にかかれないからである。

シーボルトの木々に対する評価は実に鋭い。それは、植物学者としての博学的知識を有していたからではなく、日本の風景全体を俯瞰的に捉えることができたから。鍛え抜かれた頭脳があってこその賜物。
日本の四季の捉え方など抜群。現代の類書では、ただただ日本の四季を誉めそやすだけものが多いのに、たった一度の出島から外の旅行で、日本の風景の本質を見抜いた力量はたいしたもの。
新年の日にウメの枝に花が開きフクジュソウが家の守護神の裁断を飾ると、人々は放念が知らされた思いがする。
季節の移り変わりは日本では、夏から秋と秋から冬への変化が、冬から春にかけての変化ほどきびしく現れない---//---荒い北風や吹雪の下で眠り込んでいた草木は急に目覚め、数週間たらずで景色は美しい春の装いをこらす。---//---三月には---//---さまざまな若葉を織り交ぜて森や庭や生垣を飾り、---//---四月には---//---森は硬い葉、柔らかい葉が濃淡の緑を織りなして輝き、---//---ついで(五月)若々しい緑にもえて若いムギが丘をなした畑で希望にみちて立ち上がり---//---勤勉な農夫は自然の繁殖力と競そう。
驚嘆すべき勤勉努力によって火山の破壊力を克服して、山の斜面に階段状の畑をつくりあげているが、これは注意深く手入れされた庭園と同じで−−旅行者を驚かす専念の文化の成果である。
六月には---//---だんだんに暗くなってゆく陰影の中で濃さを増す緑が夏の訪れを告げる。七月にはうだるような暑さでタケの地下茎は大きな新芽を出す---//---待ちに待った雨季が始まる---//---おそらく八月まで一ヵ月かあるいはそれ以上の間、植物の外観上の生活には目立つほどの変化はあらわれない。ただそこここに いくつかの花の咲く野草が、---//---顔を出す。木の実や種が熟し稲田は色褪せ、---//---一〇月には---、カキの葉は落ち、すき間のできた枝は柿色の実を誇らかにみせる。---//---一紅葉はついに自然の力が衰えてゆくのを知らせる。大部分の樹木や潅木は葉を落とし、多年生の茎は枯れる。(一一月)---//---赤や黒い実やオレンジが輝き、コケ類はけわしい岩や、葉の落ちた幹に咲く。---//---冷たい北西の風が吹き氷が張り雪や霙が降る。−−しかもほんの短い期間だけ高等植物の冬の眠りが続く。[pp70-72]


日本の四季の変化と通じて、その自然の美しさを賞賛しているのだが、自然といっても、それは人工の美しさであることを看破している。これこそが、日本文化の特徴と見抜いた訳である。流石。
人の住んでいる地方の姿は明らかに技術で改良された外来の特色を帯びている。---//---数世代にわたる文化的な活動によって、はじめて日本の景観は現在の特色を得たのである。---//---多くの日本産といわれる植物は外国の原産であって、われわれは約五百の有用ないし観賞植物のうち半数以上のものが輸入されたと、推定することができる。[pp73-74]

それに気付いたのは、段々畑を見たからでは。すでに、この時に、畑の美しさを感じとっていたのである。ひょっとしたら、北斎・広重の影響かなと思ったり。それはどうかわからぬが、相当に感動したようで、情緒的な記述になっていて面白い。
ヌメサキウツギの垣根もそうだが、単なる境界とか、灌漑水路にも、必ずといってよいほど景色を考えた植栽が行われている訳で、段々畑にしても、単なる生産手段の土地ということではなく、周囲と一体となって美しい景色を生み出すものとしての位置付けがあることに気付いたのだろう。
山の斜面の下の方では日本の農民は驚くほどの勤勉さを発揮して、岩の多い土地を豊かな穀物や野菜の畑に作りかえていた。---//---雑草一本なく、石ひとつ見あたらない。[pp141]

瀬戸内海の美しい風景にしても、その本質は人の営みにほかならぬと指摘しているのである。この洞察力には感嘆せざるを得ない。
有史以前の近く変動の舞台であるが、温和な島国の気候と千年の努力が、これを野趣の溢れたロマンティックな庭園に作り変えたのである。[pp121-122]
そんな性情を見抜けば、支配者層が考える理想のお庭とはどんなものかもお見通し。
日本人は美しい景色をとくに重視し、彼らの別荘を作るに当たっても、周囲の景色を滅相の庭園とひとつの姿にまとめ、互いに融合して調和のとれた全体とすることに心がける。[pp145]
しかも、その感覚は上流階級だけでなく、世間一般でも通用するので驚いたようだ。そうしたシーボルトの驚きが、さらにそれを読む我々にも驚きを呼びおこすことになる。階級で分断されている社会では、それは当たり前のことではないことがわかるからだ。
日本における大部分の都市や郊外の環境はたくさんの庭園や神社仏閣の森によって一般に広々とした公園の性格をもっている。[pp236]
日本人は広々とした自然にひたって楽しむことを心から愛していて、冬の衣をまとっていても自然は彼らの活発な空想力に書きを与えるだけの充分な魅力を持っている。また同時に彼らは、小旅行の最中でも自然の喜びを宗教的な新人や歴史的回想によって深めるどんな機会をも利用せずにはおかない。[pp98]


(記事) シーボルトが称賛した花、満開 2011年05月21日付14面 佐賀新聞


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