■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2013.9.6 ■■■

   アップに堪える木

小生は、高尾山歩きなら、人影が少なさそうな沢道が好きだ。
でも、そういうことで選ぶ人ばかりではない。見るからに高価そうなレンズをつけた、いかにも重そうなカメラを構えている方々に、結構出会うからだ。もっとも、ステッキ利用者は素敵なデザインのコンデジだが。季節と時間帯によっては相当な数にのぼっていそう。

もちろん植物観察愛好家の人々だが、そんな方々に、きっと絶大人気なのはあの木だナと思う。なにせ、アップでないと意味の薄い木なのだから。

「名前が素敵よネ。」とか、
「流石の命名ダ。」
という声も聞こえてきそう。
と言うか、そんな調子で盛り上がり、いかにも感激してしまったという感じの、大勢のご一行様にしばらく道を塞がれてしまい往生した覚えがある。

・・・と言えば、おわかりだろうか。
そう、ハナイカダである。
この名前をご存知でなかったら、一度は実物をご覧になっておくことをお勧めする。花の頃ではなく、実がついた頃が良いと思う。

そんなこともあったから、上記の発言者にケチをつけようという訳ではないのだが、「花筏」との命名に共感を表明する訳にはいかないのである。
ソリャ、アップ写真で花を眺めれば、葉っぱの中心にポツンと小さな花が咲いているのだから、誰だってこんな珍しい植物もあるのだと感じ入る。しかも雌花だと一輪とくる。それを見て、花筏と呼ぶセンスを素晴らしいと感じるのは自然な流れ。その気分はわかる。
だが、ふと、常識に立ち戻れば、いくらなんでもそれはなかろう。

花木愛好家なら、「花筏炉縁」(黒塗り全面蒔絵で、模様は、金と朱の筏、桜花、流水。)を知らぬ人はいないと思うからだ。
そう、花筏とは紛れもなき桜言葉である。花弁が地上に散乱すればそれは花筵だし、水面なら、流れがなければ花浮橋で、清流だと花筏。散り行く様を愛でる日本文化の象徴的用語である。

そんなことを百も承知なのに、ガチンコで「花筏」と命名するのはどういうおつもり。和歌の世界はおきらいなのだろうか。あるいは、桜言葉文化を拒否する、森の隠遁生活者の精神でいこうという訳か。
もしもそうでないとしたら、桜言葉が使われる前の命名となるが、雅感がある表現だから、可能性は低そう。

そもそも、一般の人だと、花筏に気付くことは滅多にない。花が咲いていても目立たないからだ。その存在を知るのは実が成ってから。
葉の上に小さな珠がポツンと乗っているのを見かけ、ホホー奇妙だナとなる。虫の作りものかと思うと、他の葉にも同じモノが乗っているからビックリ。
「葉皿に珠」の木である。湿った場所に生えてはいるが、葉はアジサイのように丈夫そのもので、水面に落ちて葉船になりそうには無い。

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