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■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2014.4.22 ■■■

由緒正しき箒の木

  初春の 初子の今日の 玉箒
  手に取るからに 揺らく玉の緒
 [万葉集#4493]
[題詞]召侍従竪子王臣等令侍於内裏之東屋垣下即賜玉箒肆宴 于時内相藤原朝臣奉勅宣 諸王卿等随堪任意作歌并賦詩 仍應詔旨各陳心緒作歌賦詩 [未得諸人之賦詩并作歌也]


上記の歌で登場する手箒が、正倉院御物としてそのまま残っている。写真を見る限りでは、鹿皮を金糸で巻いた持ち手はあるが、宝石や珠はついて無いようだ。
  「子日目利箒」 [正倉院模造@東京国立博物館]

箒を大事にするセンスは現代人にはわかりずらいが、養蚕が今年も上首尾に行きますようにと願う、后妃親蚕行事はことのほか重要だったということ。それにしても、単なる手箒である。それを天皇家の宝物として大事に保管するのだから、日本ならではの、高貴な方々の独特な心遣いと言えそう。

ちなみに、小生の場合だと、玉箒と言えば、「酒は憂いの玉箒」になってしまう。・・・
  アルコホル ァタマ揺らいで 又愉し
元ネタは漢詩である。
 --- 「洞庭春色」 蘇軾 1091年 ---
  二年洞庭秋,香霧長手。
  今年洞庭春,玉色疑非酒。
  賢王文字飲,醉筆蛟龍走。
  既醉念君醒,遠餉為我壽。
  瓶開香浮座,盞凸光照
  方傾安仁,莫遣公遠嗅。
  要當立名字,未用問升斗。
  應呼釣詩鉤,亦號掃愁帚
  君知蒲萄惡,正是母黝。
  須君海杯,澆我談天口。

それはともかく、一般に知られている、箒木(ホウキギ)とは、(ヒユ)科[アカザ科が統合された故]の一年草。草だから、箒草と呼ぶ方がよいと思うが。
もちろん、紅葉の後に箒として使った訳だが、今はそんな農家もいまい。しかし、有名なのはそんな用途ではなく、食として。ご存知「とんぶり」である。
  「箒草」[2008.3.4]

ご想像がつくかと思うが、正倉院御物の玉箒は、この草から作ったものではない。木本の正真正銘の箒木なのである。名称は「高野箒」。
そんなことを思い出したのは、とあるblogを読んだから。吉野の桜を満喫した後、金峰山寺の蔵王堂で秘仏の権現像三体を仰ぎ見ることができたというのである。一瞬目がつぶれるような錯覚を感じるくらいの迫力で、胸がゆさぶられるような体験でしたとのこと。そうか、修験道の迫力凄まじきな訳だ。

今や「紀伊山地の霊場と参詣道」として、吉野大峯や高野山は観光地化していそうな雰囲気だが、そうはいかないゾという感じがある。
なにせ、ここらはあくまでも修行の地なのである。
「高野箒」にもその気分が込められていそう。それを知ったのはずいぶんと昔のこと。高野山では、商品素材になる竹の移植は禁止されていたため、竹箒は使われなかったというのだ。雪の朝のお勤め参加を勧められ、お気軽にのって、その厳しさを知り、つくづく感じいった頃の話。

(blog)「吉野の桜を満喫する」 2014年 04月 05日 生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ

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