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■■■ 「日本の樹木」出鱈目解説 2014.4.30 ■■■

安閑と花が咲く木

余も木瓜(ボケ)になりたい。」と書いたのは漱石。・・・
  木瓜は面白い花である。
  枝は頑固で、
  かつて曲った事がない。
  そんなら真直かと云うと、
  けっして真直でもない。
  ただ真直な短かい枝に、
  真直な短かい枝が、
  ある角度で衝突して、
  斜に構えつつ全体が出来上っている。
  そこへ、
  紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。
  柔い葉さえちらちら着ける。
  評して見ると木瓜は花のうちで、
  愚かにして悟ったものであろう。
  世間には拙を守ると云う人がある。
  この人が来世に生れ変るときっと木瓜になる。


ふーむ。

花言葉はいくつもあるようだが、どうも何ひとつとして漱石のセンスとは合わない感じがするが。
どんなものかネ。・・・
  先駆者、指導者  
  妖精の輝き
  平凡
なかには、もう一つ加えてあるものも。
  熱情

花言葉はその理由を解説しないものなのだろうか。小生は以下のように解釈したがどんなものか。
先駆者、指導者」は寒木瓜のことかな。
妖精の輝き」は春を告げるということ。
西欧的発想そのもので、東洋の花としては違和感あり。
平凡」とは、低木の草木瓜を軽んじただけ。
パッとしない花色のものも多いせいもあろう。
熱情」は、寒い時に真紅の花を咲かす緋木瓜だろう。

小生は、ボケをずっと「呆け」のことだと思っていた。漱石も指摘しているように、なんとなく、愚かにして悟ったというか、世間と合わせるつもりもなく、馬鹿にされようが意に介せずとの姿勢を彷彿させるからだ。
しかも、どういう訳か、お年寄が好き好んで盆栽にする。最近は見かけないようだが。
そんなこともあり、漢語読みの「ボクカ」が訛ったとされていても、なんとなく納得感がえられずにいる。対案は無いのだが。


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