→INDEX ■■■ 歴史観 2021.1.1 ■■■ [2] コロナ対応のベースたる風土 独裁者の命令一下、危険人物を官僚組織が社会の隅々にまで探索し、その人物を社会から即刻排除するという仕組みが大っぴらにフル稼働したからだ。 このお蔭で疾病騒ぎが鎮まれば民は万々歳。そして、これこそ世界に誇るべき国家体制と、国をあげて賞賛の図となる。 小生など、余りの馬鹿々々しさに呆れるが、そう考える人は彼の地では例外的存在。これこそが、この地の風土そのものなのだ。 中国共産党が反封建主義を標榜したといっても、その実態は、四千年続いてきた儒教的中華帝国の一つでしかないことがよくわかる。 大笑いは、自称キリスト教国で普通選挙を行う国が、所詮は小中華主義の儒教国でしかないことを如実に見せてくれたこと。人権無視の独裁国的対応をしたことを、我々こそ世界の模範国と胸を張って主張するのだから。 これらは、思った通りの展開でしかないが、付随して2点ほど驚いたことがある。 一つは、この展開を見て、素晴らしい成果であり、日本も見習うべしと語る日本人がボロボロと登場したこと。信仰としての儒教は、朝鮮半島までしか浸透しなかったと考えていたが、現代日本にも少なからず存在していることがよくわかった。 しかも、それが自称リベラルだったりするのだから唖然。 もう一つは、台湾の姿勢である。 微かとはいえ、反儒教的姿勢を見せたからだ。米国から中国へと覇権が移り始めている時でもあり、これは極めて厄介な問題を生みかねまい。 (米国は工場として、経済的に中国に大きく依存している以上、いくら関係悪化といってもせいぜいがビル・クリントン政権時代に比べてという程度のこと。欧州は市場喪失に堪えられないから、関係悪化など有り得まい。それが現実。従って、本格的経済対立を仕掛けるなら米独同盟を準備するしかない訳で。米国や欧州にとって、台湾は所詮はカード以上ではなかろう。実際、WHОでの台湾の扱いで、米国はそれを態度で示し、中国に伝えたのだから。もともと、「西太平洋は中国支配下で、東は米国。」との構想を、人民解放軍が米軍に伝えたにもかかわらず、オバマ政権は黙認[外交的承認を意味する。]したのだから、この流れは変えようがあるまい。純軍事的にも、米空母軍団はすでに中国沿岸進出能力を欠くこともあるし。電子的防衛網も潜水艦探知システムも欠いている上に、雲霞の如く対艦ミサイルを発射できる体制ができてしまい、すでにパワーバランスが崩れてしまったからだ。しかも、意図がさっぱりわからぬが、自衛隊も、チグハグな武器調達等が強行され、組織的弱体化が一気に進められてしまい、この地域での中国の軍事的優位性が固まってしまった。この状態で、はたしてカードと考えて大丈夫か、という問題。) 日本人からすると、なんといっても悲惨に映るのが、インド社会となろうか。 職業で定義される細かな階層が存在する上、大家族生活も少なくない、ガチガチの身分固定社会である。 階層間の物理的接点は、生活上不可欠なのでかなり多いが、そこに精神的壁を設けている。この状況では、感染防止などとうてい不可能。 貧困層は生きるために働き詰めだし、仕事を失えば、その口を求める先は地域を越えた同職業の人々となるから、移動を止めるなどどだい無理な話。 何千年もそういう社会が続いてきたのだ。諸行無常観が生まれて当然の地と言えまいか。 さてそこで、日本。 もともと、雑種の国であり、貴種渡来人を歓迎してきた。 同時に、疾病も数々頂戴してきたから、世界的に極めて特殊な風習が組み込まれているのはご存じの通り。 なにかといっては禊となることが象徴するように、清潔と人的非接触が基本姿勢。箸・椀・碗を個人別にするのはそこから来ている気がするし、大陸と違って、面と向かって大声で話すこともできる限り避けてきた。 但し、反科学・呪術好みだから、防疫上遵守されてできあがった風俗と考えるべきではないが。 実際、国家的マネージメントとしては、科学的・合理的な対応は全くできない体質と言ってよいだろう。もともと、そのような組織が人々から好まれるのだから致し方ない。 それでも、マネジメント力を欠く防疫体制にもかかわらず、酷い状態にならずにすんだのは、中央は役に立たないと、早くに理解してしまった、現場の方々が自力で全精力を注いで対応したからだ。(個別医療施設、各老人収容施設、地域毎独立組織の保健所、クルーズ船派遣の自衛隊、の活動を見ればよくわかる。) チームワークを重視した、現場での柔軟な役割変更や緊急勤務体制化が可能で、それに合わせた組織運営がすぐにできたのである。📖メモ こんなことを考えると、「今昔物語集」の天竺・震旦・本朝という3地域分割記述は、実に優れた記述と言えよう。 📖今昔物語の由来 こうした著作で得た、"ものの見方"が現時点でもママ通用するのだから。 ついでに一言。 和辻哲郎全集を一知半解以下の状況で読んだのは、小生とっては一昔前のことだが、古代の書を通じて、その現実を眺めて解釈していく姿勢は、読む方にとっては親近感が湧く。 最初にドグマが提示され、訳のわからぬ形而上学的説明が続いて、そこから現実を解釈するような有名な著作には、辟易とさせられるので、尚更である。 ただ、風土論になると、正直言って雑な論理と言わざるを得ないが、だからこそ大きな見方ができるとも言える。 住んでいる環境イメージを固定化し、その"常識"で強引に人々の考え方に繋げているだけとしても、ものの見方を学ぶには絶好の書といえるのではなかろうか。 📖「新風土論」 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |