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2000.3.18
 
 


JCO事故の本質…

 JCO事故に対する政治家の発言を聞いていると、「もともとのシステム設計が不備であっただけでなく、マニュアルまで無視している。余りに杜撰な体制だ。」という問題意識のようだ。当然、管理体制や監察制度のありかたについて議論が集中する。

 勿論、重要なことではあるが、議論すべき重要なことが抜け落ちていまいか。このような活動ばかり進めれば、現場の研究者・技術者は政治不信に陥るのではないか。
 
 そもそも、原子力という最先端分野で、バケツを使ってモノを混ぜるという単純作業が行われていることに、政治家は驚かないのか。もしそうなら、感性を失っている。研究者や技術者なら、誰でも「技術」の停滞に驚く。仕事の進め方や、装置の説明を聞けば、ほとんどの人は30年前の工場の印象を抱く。しかも、これが、資金もヒトも不足している零細企業の話しではない。

 何故、こうした状況になったか。---マネジメントに「やる気がなかった」とも思えない。バケツを用いてマニュアルを無視した仕事をするのがベストと考えるエンジニアがいる筈もなかろう。---技術や安全への投資を削減し、大幅なコストダウンに邁進した結果、越えてはならぬ一線を越えたのである。めったに起きることではない。こうしたことが起きるのは、普通、「存続の危機」に直面している企業だ。データを調べた訳ではないが、援助も期待薄、将来の収益見通しも暗い事業と思われる。

 従って、このような企業を放置していたことが問題とはいえまいか。---これは、企業の問題ではなく、政治の問題である。

 「根拠を示さない主張は控えよ」というお叱りを受けるかもしれない。しかし、事業環境を読めば、これは常識の範囲内での推測だ。JCOの「精錬」事業は、かつての日本におけるアルミ精錬撤退と同じような環境下にある。世界の原子力燃料の需給関係は過酷である。新しい発電所が建設されるどころか、発電所減少傾向のためだ。海外の生産能力の余剰は凄まじくなる。安価な輸入品購入を始めれば、「国産」企業は存続の危機に瀕する。企業の知恵や技術開発で生き残りが可能という世界ではない。


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